鹿野城跡公園

因幡の国人領主・志加奴氏(鹿野氏)の居城が鳥取市鹿野町にある鹿野城。1544(天文13)年、因幡に侵入した尼子晴久の攻撃で、落城。1580(天正8)年、羽柴秀吉の鳥取城攻撃の際に織田方になり、亀井茲矩(かめいこれのり)が守り、鹿野藩を立藩しています。秀吉の「中国大返し」の際には、毛利に対する最前線基地になっています。

鹿野には素敵な城下町も現存

藩政時代の1644(正保元)年に廃城となりますが、鳥取藩の支藩として鹿奴藩(しかのはん)ができ明治維新まで存続しています。
近世城郭に大改修した亀井茲矩は、日本海側の藩主ながら、シャムなどとの南蛮貿易(朱印貿易)で富を築き、オランダ櫓や朝鮮櫓などの異国情緒あふれる名称の櫓を建てていたとか。

現在は内濠、外濠が残るのみですが、鹿野城跡公園として整備されています。園内にある城山神社は、亀井茲矩が城主時代に創建した城の鎮守。
園内には500本のソメイヨシノが植栽され、例年、3月中旬〜4月中旬には『鹿野桜まつり』も開催。

鹿野往来(しかのおうらい)として発展した城下町は、亀井茲矩が設計した時代と基本に変わらぬ構造をしています。東の水谷川、西の河内川から引き込み、一帯を網の目のように走る水路なども現存しています。

亀井茲矩(かめいこれのり)
因幡鹿野藩初代藩主・亀井茲矩は、1557(弘治3)年、尼子氏の家臣・湯永綱の長男として出雲国八束郡湯之荘(現在の島根県松江市玉湯町)に生誕。山中幸盛の養女(亀井秀綱の次女)を娶り、亀井姓を名乗ってその名跡を継ぎ、明智光秀、羽柴秀吉配下として活躍。1581(天正9)年、吉川経家が守る鳥取城攻略で戦功を挙げ、鹿野城主となります。本能寺の変後の秀吉の中国大返しの際には後詰めとして鹿野城に残留し、毛利氏への牽制を果たすという重責を担っています。秀吉死後は徳川家康に与して、関ヶ原合戦の功績で鹿野藩3万8000石初代藩主となります。2代・亀井政矩の代に石見国津和野4万3000石に加増転封。
2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』では、亀井茲矩を関貴昭が演じています。政治家の亀井久興、亀井亜紀子親子は子孫にあたります。
鹿野城跡公園
名称 鹿野城跡公園/しかのじょうせきこうえん
所在地 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
関連HP 鳥取市観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR浜村駅から路線バスで鹿野町総合支所前下車、徒歩10分
ドライブで 鳥取自動車道鳥取西ICから約17km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 鳥取市鹿野町総合支所 TEL:0857-84-2014
鳥取市観光案内所 TEL:0857-22-3318
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
若桜鬼ヶ城

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2021年12月6日

 

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