高岡市伏木気象資料館

高岡市伏木気象資料館

富山県高岡市伏木は、古代には越中国の国府が置かれ、江戸時代から大正時代には北前船の寄港地として賑わった地。明治16年に私設の伏木灯台に併設するかたちで廻船問屋の藤井能三が建設した伏木測候所。その明治42年築というレトロな擬洋風建築を再生したのが高岡市伏木気象資料館です。

明治42年築というレトロな擬洋風建築

高岡市伏木気象資料館

廻船問屋を営む藤井能三(ふじいのうぞう)は、明治6年、富山県内初の伏木小学校を創設。
明治8年、伏木港に当時日本最大の汽船会杜・三菱汽船を誘致、洋式汽船によって伏木と東京・大阪・北海道・北九州が結ばれたのです。
さらに明治10年、日本海側で最初の西洋式灯台となる伏木灯台を建設、そして明治16年、伏木灯台を補佐する役目として全国初の私立測候所として開設したのが伏木測候所です。
東京気象台から金沢測候所に赴任していた遠藤貞雄主任を招いて指導を受け、公立測候所と同じように定時観測を開始(暴風警報なども発令しました)。

藤井能三自身は、三菱財閥などとの激しい海運競争に敗れ、明治19年、北陸通船会社など関与企業が倒産することに。

そんな背景があって、伏木測候所は、明治20年に富山県に移管、海岸侵食のため、伏木町臥浦字享田にに移転。
明治42年には、当時の伏木町から敷地の寄付を受け、古国府東舘(現在地)に新庁舎が建設されていますが、その新庁舎こそが、現在の高岡市伏木気象資料館の建物です。
国内に唯一残る明治期の貴重な測候所建築として国の登録有形文化財にも指定。

平成29年3月18日にリニューアルオープンに際して、失われていた塔屋が復原されています。
館内では豪雪などの気象災害や旧伏木測候所で用いられた気象観測機器などを展示。
また、伏木特別地域気象観測所として現在も気象観測データを送信しています。

旧伏木測候所庁舎・測風塔 (高岡市伏木気象資料館)は、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産にもなっています。

高岡市伏木気象資料館

越中国守(国司)の館跡とも推定される地

越中国守館跡

実はこの地は、万葉歌人として名高い大伴家持(おおともやかもち)も赴任した越中国守館跡と推測され、「越中国守館址」の石碑も立っています(国府は、現在の勝興寺あたりと推測されています)。

天平18年(746年)に越中に国司として赴任していますが、当時の最高権力者・橘諸兄(たちばなの もろえ)が新興貴族の藤原氏を抑える布石として、大伴家持を要地に派遣した栄転であるとする説と、左遷であるとする説があります(奈良に戻ってから、橘氏と藤原氏との抗争に巻き込まれています)。
『万葉集』に多くの歌を残した背景には、そんな政治事情もあったのです。

国司の館は、射水川(いみずがわ)に臨む高台で、奈呉海(なごのうみ)、三島野(みしまの)、石瀬野(いわせの)を隔てて立山連峰を眺望しました。
「朝床に 聞けば遙けし射水川朝漕ぎしつつ唱ふ船人」は、天平勝宝2年(750年)春、国司の館で寝ている時に、射水川を漕ぐ船頭の歌が聞こえたという、単身赴任の寂しさの歌。

高岡市伏木気象資料館
名称 高岡市伏木気象資料館/たかおかしふしききしょうしりょうかん
所在地 富山県高岡市伏木古国府12-5
関連HP 高岡市公式ホームページ
電車・バスで JR氷見線伏木駅から徒歩5分
ドライブで 能越自動車道高岡北ICから約7.8km
駐車場 伏木駅前観光駐車場(無料)を利用
問い合わせ 高岡市伏木気象資料館 TEL:0766-44-6905
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
氣多神社

氣多神社

越中国の国府があった富山県高岡市伏木の越中国総社跡(伝承地)に建つ古社が氣多神社(けたじんじゃ)。神社の南東500mには越中国分寺の後継寺院・高野山真言宗国分寺(薬師堂)もあり、一帯は古代の越中国の中心地。氣多神社も越中国一之宮と称していま

 

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