高岡市福岡町木舟にあり、元暦元年(1184年)、越中国の豪族・石黒光弘が築城した中世の城。石黒光弘は、1183(寿永2)年、木曾義仲(源義仲)軍と平維盛軍が激戦を繰り広げた倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで木曾義仲に従った土地の豪族。高岡城が築かれるまで高岡の城といえば木舟城でした。
上杉謙信が奪い取ったこともある中世越中の拠点城のひとつ
築城以後は石黒家の居城となり、戦国時代には上杉謙信に服従。
上杉謙信没後は佐々成政(さっさなりまさ)の支配下などになりましたが、豊臣秀吉の北国征伐(富山の役)で佐々成政が降伏すると前田利家の末弟・前田秀継が入城しています。
1585(天正13)年11月の天正大地震(白山大地震・木舟大地震・長浜大地震)で城は崩壊し、前田秀継夫妻も圧死。
城は廃城となり機能は今石動城に移されています。
高岡市木舟町は、高岡城築城の際に、木舟城下の住民が移り住んだ地と伝えられています。
往時には木舟城は三重の濠で囲まれていましたが現存する遺構は土塁のみとなっています。
近くにある貴布祢神社も旧城郭内にあった城の鎮守社。
現在、周辺は田んぼになっているが、往時は東西を川に挟まれた沼地に浮かぶ天然の要害で、周囲は湿地帯でした。
しかし、軟弱な地盤ゆえに天正大地震で大きな被害を生じたのです。
天正大地震で被害を受けた城郭
飛騨の庄川断層、あるいは養老断層、阿寺断層などが震源と推測される天正大地震では、飛騨国(現・岐阜県)の帰雲城(かえりくもじょう)も帰雲山の山崩れによって崩落、美濃国では大垣城が全壊、近江国では長浜城が全壊し、尾張の清洲城も大きな被害を受けています。
飛騨の庄川断層、あるいは養老断層、阿寺断層などが震源と推測される天正大地震では、飛騨国(現・岐阜県)の帰雲城(かえりくもじょう)も帰雲山の山崩れによって崩落、美濃国では大垣城が全壊、近江国では長浜城が全壊し、尾張の清洲城も大きな被害を受けています。
木舟城 | |
名称 | 木舟城/きふねじょう |
所在地 | 富山県高岡市福岡町木舟 |
関連HP | 高岡市観光ポータルサイト |
電車・バスで | あいの風とやま鉄道福岡駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 能越自動車道福岡ICから約300m |
駐車場 | 観光駐車場を利用/無料 |
問い合わせ | 高岡市観光交流課 TEL:0766-20-1301 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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