20年に一度という神宮式年遷宮(神宮=伊勢神宮の正式名)。第63回の式年遷宮は令和15年秋の予定ですが、第62回は平成27年3月にすべての行事が終わっています。ところが、「式年遷宮は無事に終わったのですが、実はこれから行なわれる行事があるんです」(三重県観光振興課)。それが、宇治橋の鳥居のリサイクルです。
鳥居だってエコ、宇治橋から桑名・関宿に20年ごとに移築
まずは、伊勢神宮に確認すると、
「第62回神宮式年遷宮は平成27年3月、月讀宮以下12別宮の遷宮祭がすべて執り行なわれたことを以て、諸事完遂となりました」(伊勢神宮式年遷宮広報本部)。
というわけで、第62回神宮式年遷宮は平成27年3月に諸事完遂。
ところが、ここからスタートするのが、式年遷宮に伴った恒例のリサイクル活動。
「第60回式年遷宮の時に使われた御正殿の棟持柱(むなもちばしら)は、その後リサイクルされて20年にわたって内宮の宇治橋の両側にある鳥居に使われてきました。そのとき宇治橋両サイドの鳥居は、桑名市の七里の渡しと関宿(せきじゅく)の東追分の鳥居として再生されるんです」(三重県観光振興課)。
つまり神宮の式年遷宮で、使われなくなった御正殿の棟持柱(檜で直径約70cm、高さ約10m)は、まず宇治橋の鳥居として20年使われ、さらに七里の渡し、関宿東追分の鳥居として20年使われるという2段階のリサイクルを経ているのです。
内宮・宇治橋の鳥居の建替えは平成26年10月3日(金)に完了。
というわけで、次回、令和15年秋に行なわれる第63回式年遷宮までの間、宇治橋の鳥居は第61回神宮式年遷宮の御正殿の棟持柱ということになります。
式年遷宮ごとに2回前(40年前)の遷宮で廃材となった御正殿の棟持柱が、七里の渡し、関宿東追分の鳥居に再利用されています。
しかもさらにその鳥居は別の神社の鳥居として活用されるので、実にエコで無駄のないシステムになっているのです。
廃材とはいえ、もともとは神宮の貴重な柱、じつにありがたき木材というわけです。
平成5年に行なわれた第61回の神宮式年遷宮を例にすると、七里の渡しの鳥居は阪神・淡路大震災で被災した生田神社(兵庫県神戸市)の用材に、関宿東追分が生田神社正面の鳥居に再利用されています。
生田神社によれば、「生田神社と伊勢神宮はどちらも太陽神をまつっており、つながりが深い」とのこと。
桑名宿、関宿には神宮を遙拝する鳥居が
東海道五十三次、42番目の宿場が桑名宿(三重県桑名市)。
江戸時代、お伊勢参り(伊勢参宮)の旅人は、宮宿(名古屋市)から伊勢湾を海路で渡る「七里の渡し」を利用し、桑名宿に上陸していました(渡海に要した時間は3時間ほどです)。
その桑名宿、伊勢国の東の入口にあたるため、天明年間(1781年~1789年)に、伊勢神宮(くどいようですが正式名は神宮です)の「一の鳥居」が玄関口として建てられるように。
以来、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられ、宇治橋北詰の鳥居がやって来ます。
同様に、東海道五十三次、47番目の宿場で伊勢国の西の玄関口にあたるのが関宿(三重県亀山市=鈴鹿峠の入口)です。
その東の追分(東海道と伊勢別街道の分岐=追分)の鳥居も20年ごとに宇治橋南詰から鳥居が移設されています。
鳥居の近くには、「これよりいせへ」「外宮まで15里」と刻まれた標石(しるべいし)も残され、現代に徒歩時代の伊勢参宮の歴史を伝えています。
宇治橋の鳥居は、式年遷宮ごとに「リサイクル」されている! | |
所在地 | 三重県伊勢市宇治館町、桑名市船馬町、亀山市関町 |
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