雑賀崎(雑賀埼灯台)

『万葉歌』にも詠まれた雑賀の浦(和歌山市)にある景勝地が雑賀崎(さいかざき)。荒波が打ち寄せる岩礁は、紀州の特徴ともいえる青石で、入り組んだ海岸線が実に美しい景観を生み出しています。大島、中の島、双子島といった小島が浮かぶ眺めはもちろん、淡路島や四国、太平洋まで広がる大パノラマが広がります。

奥和歌浦の絶景が眼前に展開

和歌浦の一部で奥和歌浦(おくわかうら)とも呼ばれています。
和歌浦は開発で往時の景観を失いましたが、今でも万葉時代のままの海景をとどめるのが雑賀崎一帯です。

戦国時代は織田信長の軍勢を苦しめ、豊臣秀吉に仕えた雑賀孫市(さいかまごいち=鈴木孫一)を頭領とする雑賀党(雑賀衆)の本拠。
岬の先端には、本願寺の教如上人(きょうにょしょうにん=石山合戦で父・顕如を助けて信長と徹底抗戦)が身を隠したとされる上人窟が残されています。

紀伊水道に面した海上交通の要衝で、雑賀党(雑賀衆)はこの地の水軍を掌握して活躍したのです。
リアス式の複雑な海岸線は船を格納するにも絶好の地。

江戸時代には番所ノ鼻に和歌山藩の遠見番所が設置されていました。
現在、番所庭園(ばんどこていえん)のある場所が、番所の跡。

雑賀党の拠点、紀伊水道に臨む雑賀崎城の跡

鷹の巣と呼ばれる岬には、中世に雑賀崎城(さいかざきじょう)が置かれていました。
天正年間に石山本願寺を追われた教如を匿うため、雑賀党頭領・雑賀孫市によって築城された城と伝えられます。
1585(天正13)年、豊臣秀吉の紀州征伐の後、廃城となっています。

江戸時代には番所ノ鼻に置かれた遠見番所が、この鷹の巣に移され、番所ノ鼻には異国船監視の台場が築かれています。

中世の雑賀崎城の名残はまったくありませんが、現在、山城のあった鷹の巣の頂には雑賀埼灯台が建っています。
和歌山市が観光用の展望施設を建設した際に、海上保安庁が展望台の上に灯台を設置したもの。

展望施設からは、大島、中ノ島、双子島、そして淡路島を眺望します。

和歌山県観光連盟が公募で選んだ「和歌山県の朝日・夕陽100選」の夕陽の名所(双子島沖に沈む夕陽)として選ばれ、夕日が双子島を赤く染めるさまは見事。
夜には和歌山南港の向こうに、市内の夜景や和歌山城のライトアップを眺望。

芳幾『太平記英勇伝 鈴木孫市』
雑賀崎(雑賀埼灯台)
名称 雑賀崎(雑賀埼灯台)/さいかざき(さいかざきとうだい)
所在地 和歌山県和歌山市雑賀崎鷹巣山809-2
関連HP 和歌山市公式ホームページ
電車・バスで JR和歌山駅から和歌山バス新和歌浦行きで31分、雑賀崎遊園下車、徒歩15分
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約14km
駐車場 鷹の巣駐車場(民間)/有料
問い合わせ 和歌山市観光課 TEL:073-435-1234/FAX:073-435-1263
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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