高野山 奥の院

高野山 奥の院

空海が開いた真言密教の聖地で、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産にもなっている高野山(和歌山県高野町)。高野山の山上で壇上伽藍(だんじょうがらん)と並ぶ聖域となっているのが、弘法大師御廟や戦国大名や近世大名の墓所、20万基を超える石塔が並ぶ奥の院です。

高野山の聖地、弘法大師御廟に参詣

高野山 奥の院

御廟橋から眺める弘法大師御廟

高野山 奥の院

水向地蔵

空海(弘法大師)は承和2年(835年)3月21日、高野山で入定。
承和元年(834年)、空海自らが現在の地に廟所を定めたといい、現在の廟所は檜皮葺き(ひわだぶき)、宝形造りです。

高野山の入口に建つ大門の門脇に「不闕日日之影向」、「検知處々之遺跡」という聯(れん)が掲げられていますが、この意味は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」。

空海は、高野山奥の院の霊廟において現在も空海が禅定を続けているという弘法大師の入定信仰(にゅうじょうしんこう)が平安時代から隆盛し、今もそう信じられています。
奥の院では、毎日、維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と2回の食事を弘法大師御廟に給仕しています。
この行事が『生身供』(しょうじんぐ)で、御廟で待つ空海に食事を届ける儀式で、没後1200年近くも毎日欠かさずに続けられています。
御供所にて調理された食事は嘗試地蔵(あじみじぞう)での味見を経て、案内人の維那を先頭にして、2人の僧が白木の箱に納めて御廟へと運んでいきます。
姿としては見えないかもしれませんが、空海(弘法大師)は確かにそこにいる、そう信じられているのです。

その弘法大師御廟ですが、一般の参詣者は、正式には一の橋から参拝道を歩きます。

一の橋から御廟まで2kmほどの道のりには、20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢1000年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。
15体の地蔵が並ぶ水向地蔵は、足元に水を注いでから祈願する作法ですが、この作法もは古くから受け継がれてきたもの。
御廟橋は、36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していますが、ここから奥がいよいよ弘法大師御廟となります(御廟橋から先は撮影も禁止です)。
身を正して、いよいよ御廟へと参詣します。

燈籠堂(とうろうどう)は、高野山2世・真然大徳(しんぜんだいとく)が建立し、治安3年(1023年)に藤原道長が、ほぼ現在に近い大きさに整えたという堂です。
堂内には消えずの火として祈親上人(きしんしょうにん)が献じた祈親燈(きしんとう)、白河上皇が献じた白河燈などがあり、各種お守りの授与もここで受付。

ちなみに、奥の院に墓所ある大名は、武田信玄、武田勝頼、上杉謙信、織田信長、明智光秀、石田三成、伊達政宗、『忠臣蔵』で有名な浅野長矩(あさのながのり=浅野内匠頭)など。
また薩摩藩島津家、紀州徳川家などなど、全国諸藩の藩主の墓も勢揃いです。

徳川将軍家は、寛永20年(1643年)、3代将軍・徳川家光が建立した徳川家霊台(とくがわけれいだい)が別の場所に築かれています。

高野山 奥の院

見事な杉並木が続いています

高野山 奥の院

伊達政宗の墓所

 

高野山 奥の院 DATA

名称 高野山 奥の院/こうやさん おくのいん
所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山550
関連HP 金剛峯寺公式ホームページ
電車・バスで 南海高野線高野山駅から南海りんかんバス奥の院前行きで11分、千手院橋下車
ドライブで 京奈和自動車道紀北かつらぎICから約23km
駐車場 中の橋駐車場(186台)/無料
問い合わせ TEL:0736-56-2011/FAX:0736-56-4640
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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