長保寺・紀州藩主徳川家墓所

長保寺・紀州藩主徳川家墓所

寛文6年(1666年)、熊野路巡視の途中、長保寺(現・和歌山県海南市)に立ち寄った紀州藩主徳川頼宣(とくがわよりのぶ=紀州徳川家の祖、徳川家康の十男)は、周囲が山に囲まれ要害堅固であることから、非常時の陣営となることを加味して長保寺を紀州徳川家の菩提寺とします。境内には紀州藩主徳川家墓所が残されています。

本堂背後に広大な藩主廟所が

長保寺・紀州藩主徳川家墓所
徳川頼宣墓所

寛文7年(1667年)、徳川頼宣は、仏殿を建立、徳川頼宣没後に仏殿を位牌堂にあてています。
これが現存する紀州藩霊殿(紀州藩霊屋)で、歴代藩主、正室、側室の位牌が祀られています。
建立当時の調度が、そのままの姿で今も使用。

本堂背後の山の斜面に広大な藩主廟所が造営されていますが、大名墓所としては日本最大規模のもの。
5代・徳川吉宗(後の8代将軍)と13代・徳川慶福(よしとみ、後の14代将軍家茂)の墓は、将軍となったため上野・寛永寺と芝・増上寺にあり、ここにはありません。

画像協力/和歌山県

名称 長保寺・紀州藩主徳川家墓所/
所在地 和歌山県海南市下津町上689
関連HP 長保寺公式ホームページ
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約23km
駐車場 大門西駐車場(15台/無料)
問い合わせ TEL:073-492-1030/FAX:073-492-1030
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
長保寺

長保寺

和歌山県海南市下津町にある天台宗の古刹、長保寺(ちょうほうじ)。長保2年(1000年)、一条天皇の勅願で、慈覚大師・円仁の弟子である性空(しょうくう)が創建。平安時代、長保寺周辺は藤原摂関領だった地で、多くの皇族が熊野参詣途上にも立ち寄って

 

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