桂昌寺跡・地獄極楽

桂昌寺跡・地獄極楽

大分県宇佐市安心院(あじむ)町東恵良(ひがしえら)を走る国道500号からほど近い場所にある石窟に刻まれた地獄極楽絵図が、桂昌寺跡・地獄極楽。室町時代中期に開かれた桂昌寺が荒廃した後、文政3年(1820年)、天台宗の僧侶・午道法印(ごどうほういん)が、本堂を再興。この時、裏山の洞窟に、掘られたものという。

地獄極楽が表現された洞窟めぐりを体験

桂昌寺跡・地獄極楽

庶民に死後の世界をわかりやすく教えるために掘ったとされるのが、この「地獄極楽」遺跡。
40mほどの地獄道の入口には閻魔大王が座り、ここで閻魔大王の裁判を受けてから、牛頭・馬頭に引かれて地獄道に入ります。
狭い地獄道の通路には少し不気味な奪衣婆(だつえば)、血の池地獄、赤鬼青鬼などが再現されています。

さらに、その奥には、十三仏、来迎弥陀や観音・勢至菩薩などが刻まれ、30mほどの極楽道を表現しています。
途中で十三仏に助けられ、極楽浄土へと勢至菩薩、来迎弥陀が迎えてくれることを表しています。

最後に、その横にある高さ5mほどの竪穴を鎖伝いに登ると、丘の上に阿弥陀如来や菩薩像が点在。
這い出た先のここが「極楽浄土」というわけで、ストーリー仕立ての地獄極楽めぐりが楽しめるようになっているのです。

この地獄極楽を築いた午道法印は、文政6年(1823年)に、この地を去り、金華山鈴熊寺(きんかさんれいりゅうじ/福岡県築上郡吉富町)を再興しています。

江戸時代に流行した『冥界・地獄巡り譚』の仏教説話

比叡山の山中、横川(よかわ)の恵心院に隠遁していた源信は、寛和元年(985年)、『往生要集』(おうじょうようしゅう)を著し、阿弥陀如来の極楽浄土へ往生するための修行と、そのご利益を説きました。
江戸時代になって漢字かな交じり、しかも絵入りというわかりやすい『往生要集』本が何度も出版され、冥界・地獄巡り譚の仏教説話がブームを呼んだのです。

江戸時代中期に出版された、絵図入りの百科事典『和漢三才図会』には、地獄のある場所(山)として、肥前(温泉-雲仙)、豊後(鶴見)、肥後(阿蘇)、駿河(富士)、信濃(浅間)、出羽(羽黒)、越中(立山)、越前(白山)、伊豆山(箱根)、陸奥(焼山)が挙げられているので、すでに地獄めぐり、あるいは立山信仰の地獄などの考えが定着していたことがわかります。
江戸時代には行なわれていたという別府温泉の「地獄めぐり」も、庶民にまで冥界・地獄巡り譚の仏教説話が浸透したことを表しています。

桂昌寺跡・地獄極楽
名称 桂昌寺跡・地獄極楽/けいしょうじあと・じごくごくらく
所在地 大分県宇佐市安心院町東恵良
関連HP 宇佐市公式観光サイト
ドライブで 宇佐別府道路安心院ICから約7km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 宇佐市観光協会安心院支部 TEL:0978-34-4839/FAX:0978-34-4839
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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