八甲田山雪中行軍遭難資料館

八甲田山雪中行軍遭難資料館

高倉健、北大路欣也主演で映画化された『八甲田山』。その原作は新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』ですが、この小説は、明治35年1月に起こった八甲田雪中行軍遭難事件を題材にしたもの。その事件の詳細を解説するのが八甲田山雪中行軍遭難資料館で、青森市の幸畑陸軍墓地に隣接して建っています。

世界最大級の山岳遭難事故である雪中行軍を紹介

日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。
対ロシア戦を想定し、ロシア軍の青森侵攻で海岸沿いの列車が動かなくなった場合に、青森〜田代〜三本木〜八戸という八甲田山中を越えてのソリでの物資輸送が可能かどうかを調査することが目的でした。

弘前歩兵第31連隊も同時に雪中行軍を行なっていますが、こちらは「雪中行軍に関する服装、行軍方法等」の研究で、青森の歩兵第5連隊に比べれば、防寒対策をしっかりと行なっていました。
しかも歩兵第5連隊は、屯営~田代新湯間は1日で踏破可能と判断していたため、露営の準備などはしていませんでした。
爆弾低気圧による天候の急変から、参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)という大惨事を引き起こしたのです。

その後、救援隊が大滝平付近で雪原に立つ後藤房之助伍長を発見し、遭難が判明。
陸軍が発行した『遭難始末』には、目を開けたまま仮死状態で立ち、近づいて救急処置を施し、10分後に蘇生したと記録されています。
八甲田山中の馬立場にある雪中行軍遭難記念像と、八甲田山雪中行軍遭難資料館入口の像は、この屹立する後藤房之助伍長がモデルです。

八甲田山雪中行軍遭難資料館の館内では、迫り来る日露戦争という時代背景から、雪中行軍の計画、遭難と捜索の様子を史実に基づいた資料の展示と映像で紹介しています。

隣接の幸畑陸軍墓地には、雪中行軍遭難事件で亡くなった199名の墓標と当時の生存者11名の墓石があります。

最終的に生存したのは、倉石一大尉(山形)、伊藤格明中尉(山形)、長谷川貞三特務曹長(秋田)、後藤房之助伍長(宮城)、小原忠三郎伍長(岩手)、及川平助伍長(岩手)、村松文哉伍長(宮城)、阿部卯吉一等卒(岩手)、後藤惣助一等卒(岩手)、山本徳次郎一等卒(青森)、阿部寿松一等卒(岩手)の11人で、生存した将兵も、倉石大尉、伊藤中尉、長谷川特務曹長以外、その全員が凍傷により足や手の切断を余儀なくされました。

さらに、もっとも元気で生還した倉石大尉は日露戦争の黒溝台会戦で戦死。
伊藤中尉、長谷川特務曹長も重傷を負うなど、東北の農家出身者などで構成された軍隊の悲しい歴史を学ぶことができます。

八甲田山雪中行軍遭難資料館 DATA

名称 八甲田山雪中行軍遭難資料館/はっこうださんせっちゅうこうぐんそうなんしりょうかん
所在地 青森県青森市幸畑阿部野163-4
関連HP 八甲田山雪中行軍遭難資料館公式ホームページ
電車・バスで JR青森駅田茂木野・田茂木沢行きバス幸畑墓苑下車、徒歩1分。または、JR青森駅横内環状青森駅行きバスで、幸畑下車、徒歩10分
ドライブで 青森自動車道青森中央ICから約5km
駐車場 45台/無料
問い合わせ TEL:017-728-7063/FAX:017-728-7063
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

雪中行軍遭難記念像

2017.07.14
 

 

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