岡公園

岡公園

和歌山県和歌山市、和歌山城の東南にあり、明治28年4月1日に開園した歴史ある公園が、岡公園。和歌山城築城の際は、天守台や本丸周辺の石垣に使う石材を切り出した石切丁場だった場所で、南側の崖下には広沢池があります。多くの記念碑や灯籠があるので、記念碑公園とも呼ばれています。

滑り台は、「あまりに急で恐ろしい滑り台」として有名

神亀元年(724年)、聖武天皇が山部赤人を連れて玉津島(たまつしま)に行幸した際(和歌の浦が万葉の生地となった出発点)、行在所(離宮)を岡東に築いたことに由来する公園名です。
園内には、明治29年建立の「岡公園記」碑が立ち、その由来が記されています。

公園内の岩山、天妃山は藩政時代には弁才天が祀られていた場所で、和歌山城内を眺めるため江戸時代は登ることが禁じられていました。

天妃山には明治13年、最後の藩主で廃藩置県後に和歌山藩知事となった徳川茂承(とくがわもちつぐ/明治4年に東京に転居)らが建立した「四役戦亡記念碑」もあります。
明治2年、紀州藩ではプロイセン(ドイツ)から軍事顧問を招き、1万4000人に上る洋式軍隊を編成、それが明治政府の軍隊に編入されたので、西南戦争などでは重要なウエイトを占めていました。

佐賀の乱(明治7年)、台湾出兵(明治7年)、神風連の乱(明治9年)、西南戦争(明治10年)に和歌山県を故郷とする多数の将兵が参戦し、491人の兵が没していますが、その霊を弔ったのが「四役戦亡記念碑」なのです。

このほか、紀州藩出身で、幕末に勝海舟の神戸海軍操練所に入り、坂本龍馬の海援隊に参加し、明治時代に外務大臣として活躍した陸奥宗光(むつむねみつ)の銅像も立っていますが、明治100年記念事業として、昭和46年8月24日岡公園に建立されたもの。

岡公園に遊具が設置されたのは戦後のことですが、昭和40年に設置された、滑り台は、「あまりに急で恐ろしい滑り台」として有名。
わざわざ、この滑り台を見に来る人もいるほど。
コンクリート製で、直径11m、高さ5m、ミニ富士クラスの滑り台なので、子供の目線からすればかなりの高さです。

「夜雨荘」(やうそう)は、江戸時代後期の武家茶室で、紀州徳川家の家老・三浦長門守の下屋敷跡にあったものを移築保存。

和歌山市電として活躍した南海和歌山軌道線(昭和46年3月31日廃止)で活躍した市街電車321形321号、昭和34年5月8日和歌山機関区に配属となったC57形蒸気機関車を静態保存しています。

岡公園
名称 岡公園/おかこうえん
所在地 和歌山県和歌山市岡山丁3
関連HP 和歌山市公式ホームページ
電車・バスで JR和歌山駅から和歌山バス和歌山港方面行きで6分、和歌山城前下車、徒歩7分
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約5km
駐車場 46台/有料
問い合わせ 和歌山市観光課 TEL:073-435-1234/FAX:073-435-1263
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

和歌山城

和歌山市の中心部、紀ノ川河口の虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)に建つ平山城。もとは1585(天正13)年、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が、弟・秀長のために藤堂高虎(とうどうたかとら

岡公園・市街電車321形321号

岡公園・市街電車321形321号

和歌山県和歌山市、和歌山城の東南にあり、明治28年4月1日に開園した歴史ある公園が、岡公園。公園内に静態保存された市街電車321形321号は、和歌山市の市電的な役割を果たした南海和歌山軌道線の車両。和歌浦への観光路線としても機能し、昭和46

 

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