車駕之古址古墳

車駕之古址古墳

和歌山県和歌山市木ノ本にある和歌山県の史跡に指定される前方後円墳が、車駕之古址古墳(しゃかのこしこふん)。墳丘長86mは、大日山35号墳と同じ長さで、和歌山県2位の規模を誇っています。
墳丘はかなり改変されていますが、一帯は、車駕之古址古墳公園として整備されています。

朝鮮半島とも交流のあった紀の川河口を抑えた首長の墓

紀の川の段丘上に築かれた5世紀(古墳時代中期)の前方後円墳。
濠の外周を含めた古墳の総延長は120mにもなり、和歌山県下の最大級の古墳です(盛り土の流出などで往時の姿はありませんが、古墳をイメージした盛土で古墳を再現しています)。
古墳の西側には、古代の製塩集落である西庄遺跡があります。

墳丘は2段で、古墳の斜面は拳大から人頭大の川原石の葺石で一面に覆われ、南側には造出と呼ばれる方形の祭壇も築かれています。
被葬者は、紀の川の川北岸を支配していた豪族の首長だと推測されています。

埋葬施設は不明ですが、墳丘盛土内から国内唯一の金製勾玉(きんせいまがたま)が出土。
金製勾玉は中空で、長さ18mm、頭部径8mm、重さ1.6gという小さなもの。
金の質は、16金相当とのこと。
日本国内での出土例は、車駕之古址古墳だけですが、朝鮮半島南部の古墳からはいくつか出土例があり、古代の和歌山・紀の川流域と朝鮮半島の交流を物語っています(金製勾玉は新羅で製造されたと推測されています)。

和歌山県では天王塚古墳(岩橋千塚古墳群・和佐地区)・墳丘長88m、車駕之古址古墳・墳丘長86m、 大日山35号墳(岩橋千塚古墳群・大日山地区)・墳丘長86mが三大古墳で、以下、井辺八幡山古墳・墳丘長70m、大谷山22号墳・墳丘長70m、大谷古墳・墳丘長70mと続き、上位の古墳はすべて県都・和歌山市内にあります。

紀の川の水運を利用したヤマト王権と、紀の川河口の豪族・紀氏

初期ヤマト王権(5世紀〜6世紀)の重要路が紀の川水系で、和歌山から紀の川(古代の紀ノ川の河口は現在の新和歌浦あたり)を遡って五条から葛城へと通じるルートは、古代の豪族、紀氏と葛城氏が支配していました。

そして紀の川の入口を押さえ、優れた航海術に支えられた交易で、瀬戸内海、そして大陸・朝鮮半島の窓口となったのが紀氏なのです。
車駕之古址古墳の「車駕」は、中国の皇帝、日本では天皇にあたる人が乗る高貴な車のことなので、ヤマト王権と密接な関係を有した紀氏の首長墓だと推測できます。

和歌山県和歌山市善明寺にある鳴滝遺跡は、車駕之古址古墳が築かれたのと同じ5世紀前半〜中頃(古墳時代中期)の大規模な倉庫群で、ヤマト王権に関連する紀氏の倉庫群だと推測されています。

5世紀後半に難波津(古代の大阪港)が開かれると、ヤマト王権の外港は次第に難波津に移り、紀の川の役割は廃れていきました。

車駕之古址古墳
名称 車駕之古址古墳/しゃかのこしこふん
所在地 和歌山県和歌山市木ノ本686-3
関連HP 和歌山市公式ホームページ
電車・バスで 南海電鉄中松江駅から徒歩25分
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約10km
駐車場 なし
問い合わせ 和歌山市文化振興課 TEL:073-435-1194/FAX:073-435-1294
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
和歌山県の三大古墳

和歌山県の三大古墳とは!?

和歌山県都の和歌山市は、古代に紀の川の河口が瀬戸内海や大陸との交易の拠点となり、5世紀にはヤマト王権の外港ともなった場所。県下最大の古墳は墳丘長88mの天王塚古墳で、以下86mの、大日山35号墳と続きます。3つの古墳は国の特別史跡の岩橋千塚

 

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