金剛三昧院・多宝塔(国宝)

金剛三昧院・多宝塔(国宝)

和歌山県伊都郡高野町、高野山金剛峯寺の塔頭(たっちゅう=支院)のなかで唯一、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっているのが、金剛三昧院(こんごうざんまいいん)。北条政子の発願で、源頼朝菩提のために禅定院として創建された寺で、多宝塔は国宝です。

鎌倉時代前期、鎌倉幕府が建立した多宝塔

金剛三昧院・多宝塔(国宝)

建暦元年(1211年)、源頼朝の菩提を弔うための開かれましたが、承久元年(1219年)、甥の公暁(くぎょう=鎌倉幕府2代将軍・源頼家の次男)に鶴岡八幡宮で暗殺された3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)の菩提のために改築、その際に金剛三昧院と名を改めています。
高野山と鎌倉幕府とが密なる関係にあったことがよくわかります。

貞応2年(1223年)、「尼将軍」と称されて幕府の実権を掌握した北条政子は、御家人の安達景盛(あだちかげもり=源頼朝の側近)、葛山景倫(かつらやまかげとも)を建立奉行にして諸堂を整備しています(その2年後に北条政子は69歳で没しています)。
その時に大日堂、観音堂、護摩堂などとともに建立されたのが東西2基の多宝塔です。

現存するのはそのうちの1基で、塔高14.9mという立派な多宝塔。
現存する多宝塔としては建久5年(1194年)築の石山寺多宝塔に次ぐ古さで、国宝に。

檜皮葺きの美しい多宝塔は、高野山はもちろん、和歌山県内最古の建築物となっています。
建築当初は、厚板を用いた栩葺き(とちぶき)でしたが、後に檜皮葺きに改修されています。
二重に対して一重が大きく、均整の取れた姿で、一重の屋根と二重の間には饅頭型の亀腹(かめばら)が付けられ、美しさを引き立てています(建立当時には朱色に塗られていました)。
一重の内部は全面に彩色され、きらびやかな雰囲気のなか、須弥壇(しゅみだん)に運慶作と伝えられる秘仏・五智如来像(ごちにょらいぞう/国の重要文化財)が安置されています。

鎌倉時代に高野山と鎌倉幕府を繋いだのがこの金剛三昧院でしたが、そのシンボルタワー的な存在としてその歴史を今に伝えています。

金剛三昧院・多宝塔(国宝)
名称金剛三昧院・多宝塔(国宝)/こんごうさんまいいん・たほうとう(こくほう)
所在地和歌山県伊都郡高野町高野山425
関連HP金剛三昧院公式ホームページ
電車・バスで南海高野山ケーブルカー高野山駅から山内路線バス(南海りんかんバス)で千手院橋下車、徒歩10分
ドライブで京奈和自動車道紀北かつらぎICから約25km
駐車場40台/無料
問い合わせ金剛三昧院 TEL:0736-56-3838/FAX:0736-56-2586
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金剛三昧院

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