山形県天童市、江戸末期の浮世絵師、歌川広重(うたがわひろしげ)の作品を収蔵展示する美術館が広重美術館。広重生誕200年を記念 して平成9年4月に開館。羽州天童藩(織田家)と歌川広重とは深い関係があり、財政難にあえぐ天童藩主の依頼によって描いた『天童広重』と呼ばれる双幅は貴重。
天童藩と歌川広重の深い関係を知る
織田信長の次男・織田信雄を祖とする直系子孫となる織田信美(おだのぶかず)は、文政11年(1828年)、高畠陣屋を天童に移すことを幕府に認められて、天童藩を立藩。
2万石の小藩ゆえに財政難に悩まされ、将棋の駒を武士達に作ることを推奨するなどしています。
天童藩の江戸詰用人・木村宮之助、江戸留守居役(えどるすいやく=江戸での渉外担当役)で家老の吉田専左衛門(よしだせんざえもん)、江戸出身の藩医・田野文仲と歌川広重は親交があり、歌川広重に肉筆画の制作を依頼。
藩内外の豪商や豪農から御用金と称して10年間一定の額を調達した褒美に、歌川広重の絵を拝領品として配ったというのが天童藩と広重の関係。
嘉永4年12月16日(1852年1月7日)、天保13年(1842年)から10ヶ年賦で天童藩が借用した借金の返済日に、藩庁に集まった御用商人たちに手渡されたのは、返済金ではなく、広重の掛け軸。
そしてさらに10ヶ年賦(御用金)の継続的な貸し出しが強制的に行なわれたのです。
広重としても、大量に発注されるために、家を借りるなど、資金調達の目処ができるので、安心して制作に没頭できるというメリットがあったのです。
『天童広重』とされる作品群の箱裏には、拝領者が記したと裏書きがありますが、天童藩の仕打ちを子孫に伝え残そうという思いがあったと推測されています。
『天童広重』(「大名もの」、「天童もの」)と呼ばれる一連の作品は、200幅~300幅が描かれたとされますが(現在国内外あわせて95幅が確認されています)、天童市近郊で確認できる数はわずか。
広重美術館では『東海道五拾三次』、『名所江戸百景』などの初代の代表作をはじめ、画風を受け継いだ2代の名所絵、明治を描いた3代の開化絵、そして2代に学んだ4代、昭和を生きた5代までの作品約1500点を収蔵し、2つの展示室に作品保護のため毎月展示替えを行ないながら60点ほどを展示。
ミュージアムショップも併設。
天童市内には、広重美術館のほか、出羽桜美術館、天童市美術館と3館の美術館があります。
広重美術館 | |
名称 | 広重美術館/ひろしげびじゅつかん |
所在地 | 山形県天童市鎌田本町1-2-1 |
関連HP | 広重美術館公式ホームページ |
電車・バスで | JR天童駅から徒歩12分 |
ドライブで | 東北自動車道天童ICから約4.5km。山形自動車道山形北ICから約9.5km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 広重美術館 TEL:023-654-6555/FAX:023-654-6554 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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