大督寺

大督寺

天正9年(1581年)創建の浄土宗の寺で、庄内藩主・酒井家の菩提寺が鶴岡市にある大督寺。庄内藩農民の義民一揆「天保義民事件」を題材にした藤沢周平初の長編歴史小説『義民が駆ける』に登場しています。鶴岡公園(鶴岡城)から徒歩5分の家中新町(かちゅうしんまち)にありますが、実はこの地はかつての鶴ヶ岡城の三の丸あたります。

庄内藩主・酒井家の菩提寺

大督寺

鶴ヶ城の南西、つまりは裏鬼門を守護した大督寺。
家中新町は、庄内藩の家中(中級以上の武士)の屋敷町として整備され、今も武家屋敷町の面影が残されています。
大督寺が建つのは、鍛冶町木戸口跡。

庄内藩主・酒井家の霊廟は高い塀で囲まれ、入口に唐門が配されています。
普段は施錠されているので残念ながら拝観はできません。
酒井氏の大名家は9家を数えますが、庄内藩酒井家は江戸時代に一度も転封されることのなかった譜代大名。
藩主、家臣、領民の結束でも知られ、それが藤沢周平の「海坂藩」(うなさかはん)もモチーフとなった所以(ゆえん)でもあります。
藩主の酒井家は、徳川四天王の筆頭で、家康第一の功臣とされる酒井忠次(さかいただつぐ)の嫡流(ちゃくりゅう=本家)、左衛門尉家(さえもんのじょうけ)。

明治22年10月、大督寺境内に川田郡内の宗派を越えた住職の合意に基づく慈善救済事業で私立忠愛小学校(私立各宗協同忠愛小学簡易科学校)を設立。
そこで、学校給食を実施したことが、日本における学校給食の始まりとなっているのです。

学校給食といっても僧侶が、お経をとなえ一軒一軒家を回って米やお布施をいただき、弁当を持ってこられない子どもたちに食事を提供したもの。
形を変えてこの学校給食は昭和20年まで続けられました。
境内には「学校給食発詳の地」が立っています。

大督寺から南西に数分(300m)歩いた総穏寺(そうおんじ)は、『又蔵の火』で、土屋又蔵が、仇敵(きゅうてき)の叔父・土屋丑蔵を待つ場所として登場。
藤沢周平ゆかりの寺巡りが楽しめます。

大督寺
学校給食発祥の地碑
大督寺
名称 大督寺/だいとくじ
Daitokuji Twmple
所在地 山形県鶴岡市家中新町19-12
電車・バスで JR鶴岡駅から湯野浜温泉方面行きバスで10分、市役所前下車、徒歩5分
ドライブで 山形自動車道鶴岡ICから約3.5km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 大督寺 TEL:0235-22-8269
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

鶴岡公園(鶴ヶ岡城)

2017年4月12日

 

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