旧鎌倉街道の要衝、河口集落には大梅谷家、中村肥後家など河口12坊と呼ばれる御師の家がありました。現存する梅谷(本庄)家の建物は、安永5年(1776年)の築。門は寛政12年(1800年)の建築です。富士河口湖町)で現存する唯一の御師住宅。当主は河口浅間神社神主で、今も御師の家を守っています。
当主で26代目という、富士山信仰を支える御師の家が現存
江戸時代初期には甲府盆地、信州、上州、秩父などから御坂峠を越えてここ河口浅間神社に参詣し、河口集落を基地として富士登山をした富士講信者も多く、御師の宿も江戸時代初期の最盛期には140軒を数えたという。
江戸時代初期、河口浅間神社は北口本宮と呼ばれて繁栄していました。
江戸時代までは富士山信仰は神仏習合で、仏教色が強かったため、古文書によれば、御師が檀家を回ってお金を貸したり、檀家を他の御師に譲る檀家の売買が行なわれていたことが判明しています(明治の神仏分離、廃仏毀釈で神社になっています)。
どうして最盛期が江戸時代初期だったかといえば、その後、富士講の中心地が、富士登山口である吉田の御師集落へと移ったから。
江戸時代の中期以降、江戸の富士講は御坂峠を越えることなく、甲州街道を経て大月から富士吉田の浅間神社へと向かったのです。
「御師の家 うめや アネックス」(UMEYA ANNEX)として宿泊業として御師の家を再開。
なお、「御師の家 うめや アネックス」では、母屋の神殿の間でのお祓いも受け付けています。
梅谷家住宅(御師住宅) | |
名称 | 梅谷家住宅(御師住宅)/うめやけじゅうたく(おしじゅうたく) |
所在地 | 山梨県南都留郡富士河口湖町河口1129 |
関連HP | 御師の家梅谷公式ホームページ |
ドライブで | 中央自動車道河口湖ICから約7km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 梅谷家住宅 TEL:0555-76-5181/FAX:0555-76-5182 |
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