吉田胎内樹型

吉田胎内樹型

承平7年(937年)の富士山噴火の際に流出した溶岩流の東端に形成される溶岩樹型が富士吉田市の吉田胎内樹型。富士山信仰で「御胎内」と呼ばれる信仰の対象となり、吉田口登山道に近いことから富士登拝前の胎内巡りの対象となったもの。船津胎内樹型とともに世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。

世界遺産の構成資産になった溶岩樹型

複数の樹木が倒された上に溶岩が覆い、樹木部分が空洞(洞穴)となった生まれた溶岩樹型で、洞内が母胎の臓器にも似ていることから、富士山信仰では安産祈願の対象ともなっていました。
承平7年(937年)の富士山噴火で流出した剣丸尾第1溶岩流には総数62基の溶岩樹型が発見されています。
そのなかでも大規模な溶岩樹型が吉田胎内樹型で、長さ14.5mの横穴と3本の縦穴の樹型で構成。

吉田胎内樹型の発見は、明治25年、埼玉県入間郡宗岡(現・志木市)の富士講の先達・星野勘蔵。
洞内に木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が祀られ、巡礼の場となりました。

天井からは溶岩鍾乳石が垂れ下がり、肋骨のような洞内はまさに胎内ですが、残念ながら洞内は非公開になっています。

現在も年に一度、毎年4月29日に明治時代から続く神事『吉田胎内祭』が行なわれ、樹型入口の前に祭壇を設置し、白装束に身を包んだ修験者達も集結、神官によって祈祷が行なわれます。
『胎内祭』の時に限って内部が公開されますが、GWなどに行なわれ、あまりに人気のため、混雑で立ち入れないこともあるのだとか。

吉田胎内樹型
吉田胎内樹型
名称 吉田胎内樹型/よしだたいないじゅけい
所在地 山梨県富士吉田市上吉田剣丸尾5590
備考 非公開
ドライブで 中央自動車道河口湖ICから約5.2km
駐車場 なし
問い合わせ ふじよしだ観光振興サービス TEL:0555-21-1000
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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