石川さんのルーツを探せ!

実は石川さんは、日本最古の氏(うじ)のひとつである。石川姓は奈良時代から、石川臣(おみ)、石川朝臣(あそみ)などという氏姓制度(しせいせいど)で知られていた古代の大族で、古くは蘇我氏の一族に石川氏があった。蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子(そがのうまこ)の孫だった蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)は、大化の改新以後は宗家の蘇我氏に代わって蘇我氏一族の本流となり右大臣を務めている。

石川さんがつくった石川県

その解説は後回しにして、まずは石川さんといえば誰を思い起こすかという話から。歴史的には釜ゆでになった大泥棒・石川五右衛門。実在を疑問視するむきもあるが、史書や宣教師の記録などにもその名が残されている。文学者にも石川姓は多く、石川啄木(本名・石川一/いしかわはじめ)、そして芥川賞受賞者第1号の石川達三。啄木は、岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸)出身。石川達三は秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)の生まれといずれも東北出身。
歌手の石川さゆり(本名・石川絹代)は、熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)出身。石川ひとみ(本名)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)の生まれ。プロゴルファーの石川遼は、埼玉県北葛飾郡松伏町出身。

さてさて、話を蘇我倉山田石川麻呂に戻そう。石川麻呂は、河内国石川郡(現在の大阪府南河内郡全域と富田林市の一部)を本拠として石川姓を称していたが、大化5年(649年)、異母弟の日向に石川麻呂が謀反を起こそうとしていると密告され、山田寺で自害。
後、一族は加賀に移って栄え、その勢力地域を石川郡とした。現在の金沢市の中心部、白山市の大部分、野々市市の全域がこの石川郡にあたる。金沢城に石川門があるのも石川郡の郡名に由来しているのだ。
これは姓氏が地名となった一例で、明治には「石川県」と県名にもなっている。つまり、石川さんが石川県をつくったのだ。平安時代に編纂の『延喜式神名帳』では、加賀国石川郡10座中の筆頭には、白山比め神社(しらやまひめじんじゃ=全国の白山神社の総本社/石川県白山市三宮町)が載せられているから石川さんなら一度は参拝してみたいところ。

白山比め神社

石川さんのルーツは大阪府南河内郡

岐阜県各務原市蘇原宮塚町2-13に、石川麻呂の墓と伝えられる、伝蘇我倉山田石川麻呂墓がある。大阪府南河内郡太子町の仏陀寺古墳(仏陀寺境内/大阪府の史跡)、帯解黄金塚古墳(おびとけこがねづかこふん)陵墓参考地(奈良市田中町)には舎人親王の墓との言い伝えがあるが舎人親王の時代より古く時代が合わないため、蘇我倉山田石川麻呂の陵墓ではないかと考える研究者もいる。太子町は古代の河内国石川郡にあたるので、ここはまずは仏陀寺境内にある蘇我倉山田石川麻呂墓と推測される古墳を見学してみたい。

石川さんのルーツは愛知県(三河)にも

また同じ河内国石川郡を発祥とする石川氏に、清和源氏義家流の河内源氏がある。源義家の曾孫(ひまご)・源義兼(みなもとのよしかね=河内石川源氏の棟梁で頼朝から「河内随一の源氏」と評される)が地名を冠して石川氏を名乗ったことから始まり、後、石川政康(いしかわまさやす)のとき蓮如上人に下野国(現在の栃木県)で会い、その誘いを受けて三河へ移り小川城(現安城市小川町志茂)を築いた。石川政康の四男、石川康頼(僧明了)は小川城の隣に石川山蓮泉寺(現安城市小川町志茂339)を建てている。後に徳川家に仕え、この流れに家康の筆頭家老になった石川数正がいる。
家康の懐刀として知られた石川数正は、家康が松平竹千代の幼名を名乗っていた今川義元の人質時代から家康の近侍として仕えた有能な武将であった。永禄4年(1561年)、家康が織田信長と石ヶ瀬で戦ったときには先鋒を務めて活躍し、元亀元年(1570年)の姉川の戦い、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦い、天正3年(1575年)の長篠の戦いなどで数々の武功を挙げた。さらに、天正7年(1579年)に織田信康が切腹すると、岡崎城代となるが、小牧・長久手の戦いの後の天正13年(1585年)11月、何故か家康のもとから出奔し羽柴秀吉に付くこととなる。やがて、家康が関東に移ると、秀吉から信濃松本藩初代藩主として10万石に加増移封された。
松本城の辰巳附櫓と月見櫓を除く天守や、太鼓門・黒門など松本城内の代表的建築物は、このとき石川数正によって造られもので、松本城は近代城郭として整備された。

愛知県安城市小川町志茂の蓮泉寺の北側一帯に、石川政康が築いたとされる小川志茂城跡がある。石川政康の四男・康頼が開いた蓮泉寺の屋根瓦には、いまも石川氏の家紋である笹竜胆がしっかりと残されている。愛知周辺に住む石川さんはあわせて家紋のチェックを。

この河内源氏の本拠地となった河内国に、大ヶ塚(だいがづか)城跡(大阪府南河内郡河南町一須賀)と壱須何神社(一須賀神社)が残っている。神社境内に建つ由緒には、「蘇我の本支族がその祖廟として、宗祖石川宿禰を祀ったものと思われる」と記されている。
壱須何神社の近くには一須賀古墳群があるが渡来系の技術者集団の墳墓と推測されている。一帯は石川朝臣の本拠地で神社ももともとは古墳上にあったとも。住所は河南町一須賀だがかつては石川村と称したのだという。

東北出身の石川さんなら石都々古和気神社へ

また東北出身の石川さんなら必踏の地が福島県にある。石川一族の大族のひとつ、陸奥国白河郡石川庄(福島県石川郡石川町)の三芦城(石川城)に拠った陸奥(むつ)石川氏だ。はじめ摂津国に居住していた源頼光の弟・源頼親の孫にあたる石川有光(源有光)が当地に城を築いたという。三芦城は石川氏代々の居城となり、24代・石川昭光まで続いたが、天正18年(1590年)に廃城となっている。城跡には陸奥の国一之宮・石川郡総鎮守石都々古和気(いわつつこわけ)神社が鎮座している。

石都々古和気神社

石都々古和気神社

他に、武蔵国久良岐郡石川村(横浜市青葉区元石川町・横浜市中区石川町)を発祥とする横山党、常陸国茨城郡石川(水戸市石川)を発祥とする常陸大掾流や、伊賀、伊予、肥前にも石川氏は起こっている。水戸市石川は、偕楽園の西側に位置し、国道50号には石川町交差点もあるので茨城県の石川さんなら一度は訪れてみたい地だろう。

石川姓は栃木で大姓8位など関東を中心に東日本に多いとが特徴。
代表家紋は、三河石川氏が笹竜胆、三つ笹、蛇の目、陸奥石川氏が向い鶴、加賀石川氏は石川竜胆。家紋から石川さんの祖先をたどるのも方法だろう。
他に剣花菱など。

 

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