橋本さんのルーツを探せ!

橋本さんの中でも有名人といえば、幕末の志士・橋本左内だろうか。越前国福井藩藩士で菩提寺は善慶寺(福井県福井市)。政治家の橋本龍太郎の祖父・橋本卯太郎は、岡山県吉備郡秦村(現在の岡山県総社市)の出身で、総社市名誉市民となっていた。スピードスケートおよび自転車競技でオリンピックに出場の橋本聖子は、北海道勇払郡早来町(現:安平町)出身だ。

名前の由来は「聖なる橋のたもと」の意

橋本さんの由来は、神聖なる橋のたもとという意で、橋本=橋元=橋下といずれも同じ意味だ。たとえば和歌山県橋本市は、応其上人が高野山に入って出家し、天正15年(1587年)、山麓を流れる紀ノ川に橋を架けたことに由来。高野往還の宿所で橋のたもとの町に由来する。全国各地の橋本という地名は街道の宿場など交通の要衝であることが多い。

さてさて、有名な皇女・和宮も橋本ファミリーのひとり。和宮親子内親王は、典侍(ないしのすけ)の橋本経子(はしもとつねこ=橋本実久の娘)を母とし、弘化3年(1846)仁孝天皇第八皇女・孝明天皇の異母妹として生まれた。だが、和宮が生まれた時はすでに仁孝天皇はこの世になく、和宮は従兄弟の橋本実梁(さねおみ)らに囲まれ、母の生家である橋本家で養育された。いま、京都御所と迎賓館に挟まれた静かな林の中に、「皇女和宮生誕の地 橋本家跡」京都御所の東に位置する橋本家跡。橋本家跡 (皇女和宮誕生の家)という駒札が設置されている。すぐ南側には学習院跡も残されている。

数多い橋本姓の中でもっとも著名なのが、この、和宮に繋がる藤原北家西園寺流の橋本氏で、代々笛で朝廷に仕えた。鎌倉時代末期、西園寺公相(きんすけ)の四男・橋本実俊(さねとし)を祖として創設され、孫の橋本実澄(さねずみ)の代から橋本の家名となった。

ルーツは貝塚市、八幡市、鳥取市に

和泉国日根郡橋本(大阪府貝塚市橋本)を発祥とする橋本氏に、橘氏を出自とする和田氏族と楠氏族がいる。
橋本さんのルーツをたどるものとしては、地名に残された橋本交差点ぐらいだが、交差点の西300mほどの所にある丸山古墳は、古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造とされる前方後円墳(国の史跡)。古墳の南側に位置する貝塚市立南小学校の敷地内からは古墳時代中期5世紀の埋没古墳6基(地蔵堂古墳群1号墳~6号墳=円墳4基、方墳2基)が発見され、丸山古墳を中心とした古墳群の存在が判明している。このエリアが古くから拓けた地であることがよくわかる。
さらに丸山古墳は天正13年(1585年)の羽柴秀吉(豊臣秀吉)の紀州攻めの際に、秀吉自らがこの古墳に本陣を置き、橋本の積善寺城を攻めたという伝承も残されている。

山城国綴喜(つづき)郡橋本(京都府八幡市橋本)を発祥とする橋本氏は清和源氏流だ。因幡国邑美(おうみ)郡橋本(鳥取県鳥取市橋本)を発祥とする橋本氏は、橋本蔵人を祖として因幡・橋本城を築き、橋本正恒は山名家に仕え応仁の乱に参陣し戦功を挙げている。橋本正恒の代に但馬の坂本城を築くが、秀吉の八木城攻略で坂本城も落城し自刃している。
鳥取市橋本には橋本古墳群があり、橋本公民館の南東には鳥取市の史跡になっている橋本38号墳(横穴式石室内に砂岩質の家形石棺を据えた円墳で)もあり、この一帯は山陰の橋本さんのルーツのひとつといえよう。

このほか上総国相馬郡を発祥とする相馬氏族の橋本氏、佐々木氏流の橋本氏、備前、美作の橋本氏など多彩。

愛知県稲沢市も大切なルーツの一つ

尾張国中島郡(現・愛知県稲沢市)を発祥とする橋本氏も橋本さんの大切なルーツの一つ。
その昔、尾張国の国府があったのが尾張国中島郡(現・愛知県稲沢市/稲沢市松下・国府宮または下津町と推測されている)。愛知県稲沢市片原一色に橋本氏代々の居城であった片原一色城跡がある。現在の神明社境内一帯に築かれていたという片原一色城は、応永年間(1394年〜1427年)に橋本宣都寺が築城。戦国時代、織田信長に仕えた橋本一把(いっぱ)は、信長の鉄砲師範を務めたという。さらに、一把の子・橋本道一(みちかず)は、豊臣秀吉に仕え、朝鮮の役では鉄砲頭も務めている。片原一色城は慶長20年(1615)、一国一城令により廃城となっている。

橋本という名称の城は、茨城県桜川市岩瀬の橋本城跡、栃木県下野市橋本の橋本城跡など。
また、京都・梅宮大社の橋本氏は橘諸兄(たちばなのもろえ=聖武天皇を補佐した奈良時代の政治家)の後裔といわれ、兵庫県神崎郡福崎町山崎の二之宮神社には、楠木正成の一族・橋本四郎左衛門尉忠純という人物の名が残っているので、訪れてみるのもいいだろう。湊川の合戦で敗れた楠木正成の一族・橋本忠純は、直谷(すぎだに)に祀られていた播磨二之宮大神を氏神として奉じたのだという。
さらに、京街道の宿場の一つとして栄えた橋本宿(京都府八幡市橋本)を訪れ、橋本宿に本陣を置いた会津藩、新選組、見回組、遊撃隊などの幕府軍と官軍の激戦の跡を歩いてみるのもいい。橋本宿には橋本砲台跡も残り、昔の面影が色濃く残っている。

橋本姓は福島の大姓10位、鹿児島と沖縄を除いてほぼ全国に分布している。

家紋は釘抜、三つ柏、巴、四つ目結(めゆい)、蛇の目、横木瓜。西園寺流は右三つ巴、清和源氏は抱き沢瀉(おもだか)、十六菊、唐花(からばな)など。

 

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