石井さんのルーツを探せ!

「石井さんは千葉の人が多い」というと案外意外な人がいるかもしれない。内房にある岩井海岸(南房総市/TOPの画像)の岩井は、かつては石井という地名だったくらいだ。
大リーグ・ドジャースで活躍した石井一久投手は千葉県千葉市若葉区出身。
ミュージシャンの石井竜也(カールスモーキー石井)は、茨城県北茨城の生まれ。
テレビプロデューサーの石井ふく子は東京都台東区(東京府東京市下谷区)出身だ。

まずは千葉と茨城の石井さんのルーツへ!

全国に40万人ほどいる石井さん。
石井姓は千葉県でやはり群を抜いて多く、大姓8位。
茨城、東京、神奈川、埼玉など関東に多く、西日本で目立つのは岡山県(15位)ぐらいとなっている。

石井さんのルーツの旅に出かけよう。
建長2年(1250年)、藤原兼通を祖とする藤原忠通の孫・式部大輔忠衡(しきぶたいふただひら)は、下総権守(しもうさごんのかみ=下総国司の長官)として下総国猿島郡石井郷(茨城県坂東市岩井)に居を定め、忠衡の子・下総守忠光がその地名から、石井氏を称した。
藤原北家兼通流石井氏の誕生である。

下総(しもうさ)国は、現在の千葉県北部、茨城県南西部、埼玉県東辺、東京都東辺(隅田川東岸)。
また、この下総国猿島郡石井郷は平安時代、平将門が新皇を称して「石井の営所」(いわいのえいしょ)を構えた歴史的な土地としも知られている。
将門が関東一円を制覇するときに拠点とした地で、石井営所の周辺には、重臣たちの居館、郎党などの住居などが並んでいた。
天慶3年(940年)、将門は藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と平貞盛の連合軍との戦いに敗れ、営所の建物も焼き払われている。

石井営所跡には重さ20トンの筑波石を自然のままに置き、「島広山・石井営所跡」と刻まれた石碑が明治時代につくられている。
茨城周辺の石井さんなら一度は訪れてみたい場所だ。
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↑島広山・石井営所跡

さらに石井姓は近くの、下総国海上郡石井(千葉県旭市岩井)や安房国平群郡石井郷(へぐりぐんいわいのごう=千葉県安房郡南房総市岩井地区)などから次々と生まれていった。
平群郡石井郷は、「石の多い川」を意味する地名、あるいは禊(みそぎ)などをする「厳粛なる川」の意味ではないかと推測されている。

その石井郷の総社は、岩井神社(千葉県南房総市高崎906)で、治安3年(1023年)の創建という古社。往時は磐井郷牛頭天王八雲大社と称していたという。
源頼朝が真鶴から房総に逃れたとき、この磐井郷牛頭天王八雲大社に祈願しており、後にこの地を治めた里見氏も尊崇した。
千葉県出身と推測できる石井さんなら、この岩井神社は必踏ポイントだろう。

九州の石川さんなら佐賀市の常照院へ

やがて下総の石井氏は、源頼朝のとき千葉氏に従って肥前(現在の佐賀県)へ移り、数々の戦いの後、肥前国佐賀郡与賀庄飯盛(佐賀県佐賀市本庄町鹿子)の飯盛城(佐嘉飯盛城)に入り居館を置いた。その肥前は千葉氏から竜造寺氏の時代になると、石井氏は鍋島氏とともに水ヶ江竜造寺氏の旗下に属し、肥前に侵入してきた大内軍と戦う。石井氏の軍勢は「石井一門」とか「石井党」と称された勇猛果敢な同族武士団であった。さらに肥前では、鍋島氏が台頭し、石井一門は豊臣秀吉の朝鮮役や関ヶ原の合戦では鍋島氏軍に属し活躍、佐賀藩内に勢力をのばし明治維新に至る。

佐賀県佐賀市本庄町鹿子にある妙光山常照院は、飯盛城跡に建つ石井氏の菩提寺だ。永享元年(1429年)9月、肥前国小城郡主千葉家の戚臣で、当地の領主であった石井忠國(千葉宗胤の玄孫)が開基している。石井家はその後、佐賀城下に移り、一時衰退するも藩政時代には鍋島家の祈願所となって復興した。
常照院という寺号も、石井常延(いしいつねのぶ=佐賀藩祖・鍋島直茂の岳父で、初代藩主勝茂の外祖父)の法名である「常照院殿常祝日教大神祇」に因んで鍋島家が改めた(創建当初は、本善寺)。境内には石井家歴代の墓所もある。
石井氏が居城とした飯盛城は、クリーク(運河)を水濠にした中世の館的な構造。
常照院の境内が、旧城の主郭(本丸)と考えられ、主郭の南に二郭(二の丸)、さらにその南に三郭(三の丸)が配置された縄張りと推測されている。

また同じ関東から移ってきた石井氏に大隅国大隅郡垂水中俣・海潟(現在の鹿児島県垂水市)の領主で、島津氏重臣の石井氏(大隅石井氏)がいる。この石井氏は相模国の豪族・三浦義明の子孫で、桓武平氏三浦氏流の石井氏である。
鎌倉時代末期(1330年頃)、義継の子石井重義が下大隅に下向。垂水城を再興し、石井氏を名乗り垂水城を居城とした。
垂水市中俣の垂水市指定史跡・岩屋観音堂(鹿児島県垂水市中俣)は、石井氏7代までの菩提寺の跡。9代の石井義辰は垂水海潟井之上に松岳寺を開いているが、天文年間末期(1555年頃)に義辰は殺害されて石井氏は滅亡している。海潟に残る桜島焼亡塔が松岳寺の名残。

他に、伊勢国鈴鹿郡石井を発祥とする桓武平氏関氏流、下野国河内郡石井を発祥とする藤原北家宇都宮氏流、伊豆国賀茂郡石井発祥の清和源氏義光流などの石井氏がいる。さらに安芸の石井氏や陸奥の石井氏も有名。また、公家の石井氏は「いわい」と読む。

古代に遡って石井さんのルーツを探して徳島へ

さて、石井という地名が岩井に変わった千葉の例を前に記したが(もっともその場合地名の石井は「いわい」と読んでいた)、古代の石井を今に伝える場所を訪ねてみよう。

JR徳島線石井駅から徒歩50分にある石井廃寺(徳島県名西郡石井町城ノ内)は、南に緩く傾斜する段丘面上にある国造に関係した古代寺院(阿波国分寺に先立つ白鳳時代建立と推測)である。東に塔、西に金堂が並ぶ法起寺式の伽藍配置で、28個の礎石すべてが原位置を保っていた金堂跡、4個の四天柱礎石とその周囲に10個の礎石があることから三重の塔であったと推定される塔跡、それらを囲む推定される幅約3メートルの回廊跡がある。
瓦・土師器・須恵器など石井廃寺跡からの出土遺物の一部は、四国八十八ヵ所の別格二番札所童学寺(どうがくじ)に保管されている。
奈良時代初期のこの地の豪族(石井さんのルーツか?)によって建立された私寺の跡と考えられている。

他に訪れたい場所は、城跡では、佐賀の蓮池城と水ヶ江城、鹿児島の垂水城、広島の石井城。

新潟と東京の石井さんなら地元の石井神社へ!

神社は、京都市北区小山元町の石井神社、柏崎市本条の石井神社、出雲崎町石井町の石井神社、新発田市の石井神社、笠間市の石井神社、東京は亀戸の石井神社など多数。多くの石井神社では「いわい」神社と呼ぶようだ。

新潟県出雲崎町石井町の石井神社は出雲崎総鎮守で、『出雲崎大祭』も石井神社の神事がルーツ。大国主命が佐渡平定の際して石の井戸の水を汲んだという伝承も残されている。和銅4年に現在地に遷座している。ここも石井と書いて「いわい」。「大国主の命が、この地に来られ佐渡ヶ島を平治しようとしたが、海を渡る船がない。そこで、石の井戸の水を汲んで撒くと一夜にして12株の大樹が茂った」(現地案内板)とある。つまりは、石の井戸で石井ということになる。

東京にも石井さんのルーツとおぼしき場所がある。東京都江東区亀戸4丁目にある亀戸石井神社だ。弘仁2年(811年)、空海創建という伝承のある社。石神転じて咳の神様としても有名。「おしゃもじ稲荷」と呼ばれ、咳に悩んだとき、ここからしゃもじを1本借り受けて自宅で拝む。咳が無事完治したら、新品のしゃもじを1本添え、計2本をここに返すしきたりだ。
東京の石井さんで咳に悩む人はぜひ参拝を。寳蓮寺(東京都江東区亀戸4-35-12)が神宮寺だったという。

石井さんの代表家紋は井桁、藤原北家兼通流は丸に三つ鱗、他に三つ引両(ひきりょう)、井桁、橘、釘貫(くぎぬき)、五三の桐、木瓜(もっこう)、桔梗など。

 

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