日本屈指の豪雪地帯として知られる山形県鶴岡市の月山(がんさん)山麓。田麦俣は、庄内と内陸を結ぶ六十里越街道沿いに位置し、出羽三山詣での人々で賑わった場所。現在も茅葺きで「兜造り」(かぶとづくり)と呼ばれる3階建ての田麦俣多層民家が残され、民宿かやぶき屋を営む旧遠藤家住宅は、山形県有形文化財に指定。
茅葺きの多層民家がそのままの民宿に!
山間(やまあい)の田麦俣は、土地も狭く建物の増築が困難だったため、生活空間と養蚕部屋が1つの建物にまとめられ、多層の形になったいわれています。
屋根を妻側から見た形が、兜(かぶと)の姿に似ていたことが、兜造りの名の由来。
内部は4層になっていて、往時には1家族の居住空間、2階が作業場・物置、3階が養蚕と作業用の「厨子」、最上層が物置用の「天井厨子」となっていました。
旧遠藤家は、民宿「かやぶき屋」(和室4室)を営業、昔ながらの囲炉裏端(いろりばた)で山菜と岩魚(いわな)料理を味わうことができます(豪雪地帯のため、冬季は休業)。
同じ田麦俣の兜造り建築で、国の重要文化財に指定される旧渋谷家住宅は「致道博物館」に移築、公開されています。
田麦俣多層民家は貴重な建物ですが、茅葺屋根の維持管理には莫大な費用がかかるため、存亡の危機に直面しています。
湯殿山信仰の参詣者で賑わった田麦俣
田麦俣は、庄内と内陸を結ぶ六十里越街道の要所。
湯殿山信仰が盛んになり、その登山口、宿場としての機能を有していました。
全国から集まった参詣者が夜ともなると路上に出て、お国自慢の歌や踊りを披露し、毎晩、祭りのような賑やかさだったとか。
そんな、田麦俣も明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で出羽三山信仰が大打撃を受けると、寂れていき、養蚕に活路を見出すようになります。
旧遠藤家住宅は、江戸時代の後期、文化文政年間(1804年~1829年)築で、田麦俣に見られる兜造り多層民家の代表的な建物。
建築当初は寄棟造りでしたが、明治時代、養蚕業の隆盛を受けて、側面を高破風(たかはっぽう)、兜造りに屋根が改造され、平側(正面側)にも採光と煙出しの窓が造られて、風格にのある建物に変わっていきました。
日本遺産「サムライゆかりのシルク〜日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡」の構成資産にもなっています。
田麦俣多層民家 旧遠藤家住宅(民宿かやぶき屋) | |
名称 | 田麦俣多層民家 旧遠藤家住宅(民宿かやぶき屋)/たむぎまたたそうみんか きゅうえんどうけじゅうたく(みんしゅくかやぶきや) |
所在地 | 山形県鶴岡市田麦俣七ツ滝135 |
関連HP | 鶴岡市公式ホームページ |
電車・バスで | JR鶴岡駅から庄内交通バス田麦俣行きで1時間、終点下車、すぐ |
ドライブで | 山形自動車道湯殿山ICから約2.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 田麦俣多層民家 旧遠藤家住宅(民宿かやぶき屋)TEL:0235-54-6103 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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