因幡国(いなばのくに)、伯耆国(ほうきのくに)、出雲国(いずものくに)、石見国(いわみのくに)、隠岐国(おきのくに)の5国が山陰。日本100名城に選定されるのは因幡国の鳥取城、出雲国の松江城と月山富田城、そして石見国の津和野城の4城です。
鳥取県
鳥取県で日本100名城に選定されるのは、鳥取城のみ。
戦国時代には羽柴秀吉軍に対して3ヶ月にも及ぶ過酷な籠城戦を行なった後に和睦したことでも有名です。
藩政時代には鳥取藩の藩庁として機能しました。
鳥取城
羽柴秀吉による「鳥取の飢え殺し」で有名
所在地:鳥取県鳥取市東町
旧国名:因幡国
築城年:天文6年(1545年)、因幡国守護・山名誠通(やまなのぶみち)が築城
内容:天然の要害、千代川を見おろす標高263.0mの久松山(きゅうしょうざん)にあり、天正8年(1580年)には、天下布武(天下統一)を目ざす信長の命を受けた羽柴秀吉軍の攻撃を受け、3ヶ月の過酷な籠城戦(「鳥取の飢え殺し」)を展開
和議により降伏し織田方となりました
関ヶ原の合戦後、近江・水口城から入った池田長吉(いけだながよし/父は池田恒興)によって近世的な城郭に大改築
備考:国の史跡
島根県
島根県内で日本100名城に選定されるのは国宝天守の松江城、そして松江城以前に出雲国支配の中心だった山城の月山富田城、津和野藩の藩庁ながら山全体が城塞という津和野城の3城です。
近世城郭の松江城も城山に築かれた平山城で、宍道湖、京橋川を外堀とした湖城にもなっています。
松江城
国宝天守は石落としや鉄砲狭間などのある実践的なもの
所在地:島根県松江市殿町1-5
旧国名:出雲国
築城年:慶長16年(1611年)、徳川家康の配下となった堀尾吉晴(ほりおよしはる)が亀田山に築城
内容:関ヶ原の合戦後、堀尾吉晴、忠氏親子は月山富田城に入城しますが、山城で不便なため亀田山に松江城を築き、近世的な城下町を縄張りを実施
天守は現存する12天守のひとつで、桃山様式の天守として国宝
堀に宍道湖の水(汽水)を引き入れることから高島城(長野県諏訪市/諏訪湖)、膳所城(滋賀県大津市/琵琶湖)と並んで日本三大湖城にも数えられています
備考:国宝5天守、国の史跡、日本三大湖城
月山富田城
中世、尼子氏の栄華を支えた巨大な山城
所在地:島根県安来市広瀬町富田
旧国名:出雲国
築城年:12世紀後半と推定
内容:標高183.8mの月山(がっさん)の山上に築かれた周囲1.5km四方の巨大な山城
中世には天然の地形を利用して歴代の出雲国守護職の居城となっていました
文明18年(1486年)、清貞の子・尼子経久(あまごつねひさ)が富田城を奪還し、尼子氏の栄華が始まっています
近世城郭としては不便なため、松江城を築いて山城としての機能を終え、廃城に
備考:国の史跡、日本五大山岳城
津和野城
中世には霊亀山の全山が城塞
所在地:島根県鹿足郡津和野町鷲原
旧国名:石見国
築城年:吉見頼行が、鎌倉時代の永仁3年(1295年)から30年を費やして築城
内容:慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦の功績で入城した坂崎直盛(さかざきなおもり) が大改築を行ない、本丸の北200mの山頂に側面防衛のために織部丸(おりべまる)を構築(現存する石垣などは坂崎直盛が修築のもの)
山城ながら津和野藩時代も存続し、11代にわたり亀井氏の居城に
備考:国の史跡
日本100名城 山陰4城 | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag