昭和9年公開の映画『大仏廻国』で、動き出した大仏は聚楽園大仏!

大仏廻国

昭和9年に公開された大仏映画製作所の映画『大仏廻国・中京編』(だいぶつかいこくちゅうきょうへん)。大仏(着ぐるみ)とミニチュアの都市模型を使い、大仏が突然動き出し、名古屋の街を歩くという映画。その動き出す大仏が、愛知県知多郡上野村(現・東海市)の聚楽園大仏(しゅうらくえんだいぶつ)です。

動き出した大仏は名古屋城、犬山城を見物

大仏廻国

映画『大仏廻国・中京編』は、枝正義郎(えだまさよしろう)監督による日本の長編劇映画で、ゴジラ、ウルトラマンなどの特撮映画のルーツともいえる存在です。
枝正義郎監督は、特撮監督で「特撮の神様」とも称せられる円谷英二(つぶらやえいじ=天然色活動写真時代に枝正義郎に見出され、同社に入社)の師。

この自主制作『大仏廻国・中京編』はなんと、東亜キネマを退職しての自主制作です(以降は大都映画技術部総務、大映多摩川撮影所庶務課長を歴任)。

残念なことにフィルムが戦災によって消失しているため、リマスター版の映画を鑑賞することはできませんが、平成30年に映画『大仏廻国 The Great Buddha Arrival』としてリメイクされています(オリジナルへのリスペクトを中心に現代の表現を用いたリメイク版、製作費300万円)。

聚楽園大仏は、昭和2年、実業家・山田才吉(やまださいきち=)の建立。
山田才吉は、有名な「守口漬」を考案、缶詰事業に進出し、軍用缶詰で財を成した実業家ですが、同時に明治20年に『中京新報』(現『中日新聞』)を創刊、名古屋瓦斯(現在の東邦ガス)を創設、さらには政界にも進出しています。

聚楽園大仏は、一帯を保養地として旅館や海浜プールなどを建設していた山田才吉が、シンボル的に大仏(阿弥陀如来坐像)を建立したもので、完成時は日本最大の大仏として多くの人が訪れました。
聚楽(じゅらく・しゅうらく)は「長生不老の楽しみを聚(あつ)める」の意で、尾張・中村出身の豊臣秀吉が京に築いた聚楽第(じゅらくてい)からとったもの。

山田才吉は昭和12年に没していますが、映画は昭和9年製作公開なので、まだ存命中。
多くの人々が参詣に訪れる日本一ビッグな聚楽園大仏、人々の願いを聞いて大仏が立ち上がったというのが、映画『大仏廻国・中京編』のコンセプトです。

真宗大谷派名古屋別院、本願寺名古屋別院、大須観音、名古屋城と名古屋市内を練り歩いた後、犬山城の横でひと眠り。
さらに一宮の真清田神社(ますみだじんじゃ)に参拝、名古屋市内に戻り名古屋公会堂、名古屋市議会、松坂屋名古屋本店、覚王山(かくおうざん)、鶴舞公園(つるまこうえん)、名古屋市公会堂などを巡り、三河八橋、刈宿の大仏(かりやどのおおぼとけ/昭和3年建立、現・西尾市)と対面し、地獄を巡った後、雲に乗り東京に向かうという奇想天外なストーリー。
愛知県内の観光名所を網羅したこともあって名古屋の繁華街、大須の映画館は満員御礼になったとか(封切りは、「大須世界館」)。

どうして映画が生まれたのかは定かでありませんが、女学生の同性心中からはじまった「三原山自殺ブーム」が前年の昭和8年で、自殺ブームという猟奇的な現象が背景にあったのかもしれません。
またドイツではヒトラーが首相に、国際連盟脱退などというきな臭い雰囲気が漂い始めていました。
付け加えれば、愛知県民が「大仏好き」ということもあったのかもしれません。
そうした世相を背景に「大仏が立ち上がった」のです。

昭和9年公開の映画『大仏廻国』で、動き出した大仏は聚楽園大仏!
所在地 愛知県東海市荒尾町西丸山(聚楽園公園内)
場所 聚楽園大仏
電車・バスで 名鉄聚楽園駅から徒歩5分
ドライブで 伊勢湾岸自動車道東海ICから約2km
駐車場 200台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
聚楽園大仏

聚楽園大仏

愛知県東海市の聚楽園公園(しゅうらくえんこうえん)にある大仏が聚楽園大仏。大正5年に実業家・山田才吉が聚楽園を開園し、昭和2年5月21日に聚楽園大仏の開眼供養を行なっています。当初は、白毫にサーチライトが仕込まれ伊勢湾を照らすなど観光的な要

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