湯築城

湯築城

道後温泉(愛媛県松山市道後町)の温泉街の南、小高い丘陵で、現在道後公園となっている一帯が中世の名城、湯築城(ゆづきじょう)の城跡。足利尊氏が建武政権に叛旗を翻した建武2年(1335年)頃、伊予国守護・河野通盛の代に築城され、戦国時代まで中世に伊予の拠点として機能した城です。日本100名城、日本の歴史公園100選に選定。

県立道後公園一帯は、実は日本100名城選定の湯築城跡

湯築城
本壇にある展望台から西側(松山城側)を眺望

天正13年(1585年)、羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻し、河野通直も1ヶ月の篭城の後、ついに降伏。
こうして河野氏の400年にわたる伊予支配に終止符が打たれたのです。
天正15年(1587年)、福島正則が城主となりますが、城を国分山城に移して湯築城は廃城に。

慶長7年(1602年)、勝山(城山)に松山城が築城される際に、湯築城の瓦などの建材が再生されています。
明治21年に城跡が県立道後公園として整備され、内堀、外堀が現存しています。

河野通盛が築城した際に祀ったという岩崎神社も現存。
庭先に祀ったことから庭先神社と称したのが、岩崎に転訛したのだとか。
現在の社は、元禄15年(1702年)に安田又之允が再興したもの。

江戸時代に描かれた絵図から、現在グラウンドのある東口が大手(表玄関)、湯築城資料館が建つ西口が搦手(からめて=裏口)と推測されています。
山上の南側が本壇、北側が杉ノ壇と呼ばれています。

昭和63年に開始された発掘調査は、公園南部から始まり、現在では南側に武家屋敷などが復元されています。
発掘調査から城(内堀)の西側が、家臣団の住まい、東側に上級武士が住んでいたことが判明。

復元区域(城跡の南部)には湯築城資料館、武家屋敷(復元)、土塁展示室、庭園区・上級武士居住区(平面表示)などが整備されています。

湯築城
名称湯築城/ゆづきじょう
所在地愛媛県松山市道後公園
関連HP道後公園湯築城跡公式ホームページ
電車・バスで伊予鉄道道後温泉駅下車、すぐ
ドライブで松山自動車道松山ICから約7km
駐車場道後公園西口駐車場(23台/有料)・道後公園西口駐車場(11台・有料)
問い合わせ湯築城 TEL:089-941-1480/FAX:089-941-1481
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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