明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)

欽明天皇(539年〜571年)の御代、天皇の勅願で創建したという古刹が西予市宇和町に建つ明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)。734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となりました。のちの822(弘仁13)年、嵯峨天皇の勅願により空海が伽藍を再興、これを霊場としています。

寺伝によれば創建は欽明天皇の時代までさかのぼる

寺伝によれば、欽明天皇の勅願で、円手院正澄という行者が唐から渡来した千手観音菩薩像を祀るため、七堂伽藍を建立して開創したのが明石寺(めいせきじ)の起源とか。
現在の本尊も千手観音菩薩で、寺号も円手院(えんしゅいん)。
ただし、日本最古とされる飛鳥寺や四天王寺以前の創建ということになるので、あくまで寺伝という域を出ない起こりです。

1194(建久5)年には源頼朝が池禅尼(いけのぜんに/平忠盛の正室、13歳の頼朝が捕縛された際に助命を嘆願)の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、経塚を築いています。
山号の現光山を現在の「源光山」(げんこうざん)に改めたのも頼朝です。

室町時代には宇和地方を領有した西園寺氏の祈願所にもなり、伊予の武士たちの信仰も集めたとか。
明治の神仏分離令により、熊野十二社権現から熊野神社として独立。

現在の堂宇は1672(寛文12)年、宇和島城を修復した宇和島藩2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が建立したもの。
藩政時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えるほど隆盛しました。

現存する本堂は、明治23年頃に全国の信者の浄財によって建立されたもの。
本堂裏手には、西国巡拝の婦人が寄進した「しあわせ観音像」と西国三十三ヶ所の石像があるので参詣を。
鐘楼堂のみ江戸時代の建築物となっています。

霊場間の距離・時間

42番札所・仏木寺(愛媛県宇和島市三間町則) — (16km/30分) — 43番札所・明石寺(愛媛県西予市宇和町明石) — (78km/2時間) — 44番札所・大宝寺(愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生)

明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)
名称 明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)/めいせきじ
Temple 43: Meisekiji
所在地 愛媛県西予市宇和町明石201
関連HP 四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ
電車・バスで JR卯之町駅からタクシーで5分
ドライブで 松山自動車道西予宇和ICから約2.5km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 明石寺 TEL:0894-62-0032
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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