石手寺(四国八十八ヶ所霊場第51番札所)

石手寺(四国八十八ヶ所霊場第51番札所)

愛媛県松山市の道後温泉の近くにある真言宗豊山派の古刹、石手寺(いしてじ)。四国八十八ヶ所霊場第51番札所で、山号は熊野山、本尊は薬師如来。神亀5年(728年)、聖武天皇の勅願により創建され、もとは安養寺と称し法相宗の寺でしたが、弘仁4年(813年)、空海が真言宗に改めました。

国宝の仁王門ほか、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺

石手寺(四国八十八ヶ所霊場第51番札所)
石手寺(四国八十八ヶ所霊場第51番札所)

寺伝によれば、神亀5年(728年)、伊予の豪族、越智玉純(おちたますみ)が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀って聖武天皇の勅願所となり、翌年の天平元年(729年)、行基が薬師如来像を本尊に祀って開基したと伝えられています。
境内の訶梨帝母天堂(かりてもてんどう)は、熊野十二社権現の遺構で、鬼子母神を祀り、安産祈願の信仰があります。

大師堂は、夏目漱石や正岡子規など多くの名士が落書きを残し、「落書き堂」という別名も。
往時の壁は第二次大戦中に塗りなおされ、現在も白いボードが貼られていて落書きが可能。

永禄9年(1566年)、長宗我部元親による兵火で多くの堂宇を焼失していますが、本堂、仁王門、三重塔は消失を免れています。

寺宝が多い寺としても知られ、文保2年(1318年)築の仁王門は国宝。
境内ではほかに、鎌倉末期のものとされる本堂と三重塔をはじめ鐘楼、護摩堂、五輪塔、訶梨帝母天堂、銅鐘が国の重要文化財に指定されています。
建長3年(1251年)の銘が刻まれた銅鐘は、愛媛県最古の鐘。

初詣、厄除詣の参詣者数は愛媛県内随一で、普段も観光客の姿が多いのが特徴。

石手寺(四国八十八ヶ所霊場第51番札所)
国宝の仁王門
四国巡礼の創始者と伝えられる衛門三郎
石手寺という寺の名は、四国お遍路のルーツとされる衛門三郎の逸話にちなみます。
強欲非道で、仏を嫌う悪人の衛門三郎は、托鉢の僧が何度も家に現れますが、ついに8日目に、僧侶の手にする鉢を8つに割ってしまいます。
衛門三郎には8人の子がいましたが、毎年1人ずつ亡くなり、8年目には子が皆亡くなってしまいました。
三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が空海(弘法大師)であったことに気がつきます。
懺悔の気持ちから田畑を売り払い、20回もの回数、四国の巡礼をしますが、空海(弘法大師)に出会うことができません。
天長8年10月、今度は逆に回ることにしたところ、ついに巡礼の途中、空海(弘法大師)に出会うことができました。
空海の許しを得た三郎は、生まれ変わったら、河野家に生まれ変わり、人の役に立ちたいと託して息を引き取りました。
空海は、路傍の石を取り衛門三郎と記して、左の手に握らせました。
翌年、伊予国の領主、河野息利(こうのおきとし)に長男が生まれますが、その手にはなんと衛門三郎と記された石が握られていたというお話です。
この衛門三郎の逸話が記される最初の記録は、永禄10年(1567年)の『石手寺刻版』です。

四国八十八ヶ所霊場間の距離・時間

50番札所・繁多寺(愛媛県松山市畑寺町32) — (1km/車で5分) — 51番札所・石手寺(愛媛県松山市石手2-9-21) — (13km/車で30分) — 52番札所・太山寺(愛媛県松山市太山寺町1730)

石手寺(四国八十八ヶ所霊場第51番札所)
名称 石手寺(四国八十八ヶ所霊場第51番札所)/いしてじ
所在地 愛媛県松山市石手2-9-21
関連HP 石手寺公式ホームページ
四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ
電車・バスで JR松山駅から伊予鉄バス道後温泉行きで15分、石手寺前下車
ドライブで 松山自動車道松山ICから約7.4km
駐車場 20台/無料、その他民営駐車場(200台/有料)
問い合わせ 石手寺 TEL:089-977-0870
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
石手寺・二王門

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