愛媛県大洲市大洲、城下町大洲の東端、肱川流域随一の景勝地・臥龍淵に臨む広さ3000坪の山荘が、臥龍山荘(がりゅうさんそう)。歴代藩主の庭園を、神戸で木蝋(もくろう)の輸出で財を成した貿易商・河内寅次郎(こうちとらじろう)が別荘として改修し、母屋の臥龍院などを建築したものです。
大名庭園を明治末に木蝋商が別荘として大改修
もともとは、文禄年間(1592年~1596年)に藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛(渡辺了=槍の名手で今治城の普請奉行、後の伊賀上野城代)が築庭。
大洲藩3代藩主・加藤泰恒が、大和国(奈良県)から吉野の桜(山桜)、龍田の楓を移植し、蓬莢山が龍の臥す姿に似ていることかれあ臥龍と命名しています。
その後、明治維新後に荒廃しましたが、明治40年、荒れ果てていた大洲歴代藩主の庭園を、明治の貿易商、河内寅次郎が10年の歳月をかけ改修。
京都の桂離宮や修学院離宮を参考に、母屋の臥龍院、茶室の知止庵(ちしあん)、不老庵の3棟を建てたもの。
臥龍院の「壱是の間」(いっしのま)は、格調高い書院座敷で、臥龍淵を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた不老庵とともに必見の価値があります。
神楽山を背に、東南の冨士山(とみすやま)、梁瀬山と肱川・如法寺河原の自然の景観を巧みに取り入れた借景庭園も見事。
河内寅次郎は大洲藩の支藩・新谷藩(にいやはん)出身で、同郷の池田貫兵衛とともに神戸に喜多組合名会社を設立、木蝋事業に携わって財を成しました。
内子で生産された木蝋は、小田川の知清橋あたりの川港から船積みされ、肱川河口で大型帆船に積み替えて神戸に向かい海外に輸出されましたが、臥龍山荘もやはり木蝋の繁栄が生み出した庭園ということに。
江戸時代に大洲藩主の庭だった地が、明治に入り木蝋の貿易で財を成した貿易商が整備するという、大洲の歴史を凝縮する庭です。
臥龍山荘 | |
名称 | 臥龍山荘/がりゅうさんそう |
所在地 | 愛媛県大洲市大洲411-2 |
関連HP | 臥龍山荘公式ホームページ |
電車・バスで | JR伊予大洲駅から徒歩20分 |
ドライブで | 松山自動車道大洲ICから約5km |
駐車場 | 大洲まちの駅あさもや駐車場(43台/無料) |
問い合わせ | 臥龍山荘 TEL:0893-24-3759/FAX:0893-24-3759 |
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