鳳来寺

703(大宝3)年に利修仙人(りしゅうせんにん)が開山したと伝えられる古刹、鳳来寺(ほうらいじ)。真言宗五智教団(しんごんしゅうごちきょうだん)の本山で、文治年間(1182〜1189年)に源頼朝が堂宇を建立、鎌倉時代には三河七御堂の一つとして隆盛しました。武田信玄も死の直前に鳳来寺に参詣したと伝えられる名刹です。

本堂まで1425段の石段が続く東海屈指の霊山へ

麓から1425段の石段が続く長い鳳来寺の参道

徳川家光寄進、国の重要文化財に指定の仁王門

江戸時代に山内に東照宮が創建されると、さらに隆盛を極め21の坊が山内に配されました。
神仏に帰依した3代将軍・徳川家光は、徳川家康の父・松平広忠と母・於大の方(おだいのかた)が、鳳来寺の本尊・峯薬師如来に懐胎を祈願して竹千代(後の家康)を身ごもったという伝説が残ることをが知り、鳳来寺を「神君誕生ゆかりの寺」として手厚く保護、鳳来山東照宮を創建しました。

表参道から本堂へと1425段の石段が続き、杉木立に囲まれ豊かな自然の中にある堂宇が建っています。
3代将軍・徳川家光寄進の仁王門は、国の重要文化財で、石段で上った山内には樹齢800年の傘スギも現存。

奥の院へは本堂脇から東海自然歩道で到達。
山麓から「鳳来寺山パークウェイ」(平成17年7月に無料化・県道門谷豊岡線になっています)で鳳来寺山パークウェイ駐車場まで歩かずに到達可能(山頂駐車場への道路は18:00〜8:00まで通行禁止)。

石段途中の傘杉は樹齢800年の巨杉

鳳来寺奥の院(倒壊前の画像です)

東海屈指の紅葉の名所

『鳳来寺山もみじまつり』期間中は多くの人出が

表参道をロウソクの灯りでライトアップの「千の灯火」

例年、11月には1ヶ月間にわたって『鳳来寺山もみじまつり』を開催。
野点茶会、長篠陣太鼓奉納、物産展、千の灯火(表参道をロウソクの灯りでライトアップ)などが行なわれます。
また、11月23日には鳳来寺、鳳来山東照宮の秋季大祭が執り行なわれます(11月23日は交通規制が実施され、鳳来寺山自然科学博物館前の表参道の自動車通行は不可となります/鳳来寺山パークウェイは通行可能)。

大晦日の除夜の鐘は、先着108名に限り撞くことが可能。鳳来寺田楽堂で1月3日に奉納される「鳳来寺田楽」は、国指定の重要無形民俗文化財。
鳳来寺を開いた利修仙人が入定の際に、山の守護神になるようにと山中に住み、利修仙人を守った青、赤、黒の3匹の鬼の首を刎ねて埋葬。
その供養にと鳳来寺の僧侶が村人とともに舞ったのが「鳳来寺田楽」の始まりと伝えられています。

鳳来寺田楽

源頼朝、井伊直政ゆかりの鳳来寺

源義朝は、あまり知られていませんが、尾張国熱田(現・名古屋市熱田区)の熱田神宮大宮司・藤原季範の別邸(現・誓願寺)で生誕。
平治の乱で父・源義朝は知多半島、尾張国野間(現・愛知県知多郡美浜町)で入浴中に長田忠致に謀殺されてしまいます。
その後、頼朝は京に送られ処罰を待ちますが、死罪にならず伊豆・蛭ヶ小島(ひるがこじま)に流刑となったのは、熱田神宮の力があったから。
平治の乱で、父・源義朝が討たれた時、13歳だった頼朝は鳳来寺に逃げ込んだと伝えられていますが、定かでありません。
美濃で源義朝一行とはぐれた頼朝は、平家の手にというのが通説になっているからです。

大河ドラマで有名になった井伊直虎ですが、井伊直虎に養育される井伊直政(幼名・虎松)も、武田信玄の駿河侵攻の際に、龍潭寺住職・南渓瑞聞の機転で鳳来寺に匿われたという歴史があります。

源頼朝

井伊直政

鳳来寺 DATA

名称 鳳来寺/ほうらいじ
Houraiji temple
所在地 愛知県新城市門谷鳳来寺1
関連HP http://shinshirokankou.com/
電車・バスで JR本長篠駅前から豊橋鉄道バス田口行き、鳳来寺山頂行きで8分、鳳来寺下車、徒歩15分
ドライブで 新東名高速道路新城ICから約15km(15分)
駐車場 180台(鳳来寺パークウェイ山頂駐車場)/有料
問い合わせ 新城市観光協会TEL:0536-32-0022

鳳来寺山

2017.07.03

鳳来山東照宮

2017.07.03

 

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プレスマンユニオン編集部

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