博物館明治村・品川灯台

博物館明治村・品川灯台

品川沖の第二台場の西端に明治3年3月5日に初点灯したのが品川灯台。幕末に徳川幕府が米、英、仏、蘭の4か国と結んだ改税約書(江戸条約)によって建設が決まり、フランスとイギリスに、灯台のレンズや機械の購入や技術指導を依頼、明治政府に引き継がれて完成したもの。博物館明治村に現存し、国の重要文化財に指定、近代化産業遺産認定。

ヴェルニーが品川台場に建設した現存する日本最古の洋式灯台

博物館明治村・品川灯台

江戸条約の第11条に「日本政府ハ外国交易ノタメ開キタル各港最寄船ノ出入安全ノタメ灯明台、浮木、瀬印木ヲ備フベシ」と定められ、航路標識の設置が義務づけられました。

明治2年1月1日に東京湾の入口、三浦半島の観音崎に建設したのを最初に、8ヶ所(野島埼灯台、観音埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)の灯台建設が決まりました。

さらに観音埼灯台、野島埼灯台、品川灯台、城ケ島灯台と東京湾の出入りを守る4ヶ所の灯台がフランス人技師・フランソワ・レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny)によって建設されています。

ヴェルニーの建設した4灯台のうち、往時の姿が現存するのは品川灯台だけで、旧品川燈台として国の重要文化財に指定されています。
さらに「安全な船舶航行に貢献し我が国の海運業等を支えた灯台」として経済産業省の近代化産業遺産に認定。

建設当初は石油による光で100燭光、光源の高さは地上から19尺(5.8m)海面上52尺(16m)にあり、光達距離は18kmだったと記録されています。
幕末に江戸湾防備のため勘定吟味役・江川太郎左衛門の計画で築かれ、砲台が備えられた第二台場に、灯台が設置されたことになります。

円筒形レンガ造りですが、レンガは同時に建設が進められていた横須賀製鉄所のレンガが使用されています。
創建時には塔身の周囲に半円形の前室が備わっていましたが、記録が失われているため、塔身のみが復原されています。

昭和32年に現役を終え、昭和39年に明治村に移築保存されています(第二台場は、昭和36年、航路の障害になるという理由から撤去され、現在は海になっています)。

博物館明治村・品川灯台
名称博物館明治村・品川灯台/はくぶつかんめいじむら・しながわとうだい
所在地愛知県犬山市内山1
関連HP博物館明治村公式ホームページ
電車・バスで名鉄犬山線犬山駅から名鉄バス明治村行きで20分、終点下車すぐ
ドライブで中央自動車道小牧東ICから約4.6km
駐車場900台/有料
問い合わせ博物館明治村 TEL:0568-67-0314/FAX:0568-67-0358
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
博物館明治村

博物館明治村

明治時代を中心とする建築物を愛知県犬山市の入鹿池(いるかいけ)周辺のなだらかな丘陵地帯の景観を生かしながら移築・展示した野外博物館。解体される運命にあった建造物の中から価値あるものを選び順次移築復原し、移築された歴史ある建物は全部で60あま

台場公園 第三台場

レインボーブリッジの足元に広がる台場公園。お台場エリアにある東京都建設局が管理する公園ですが、公園内にある第三台場は、江戸時代に外国船を警備するために作られた海上砲台の跡でいわばお台場のルーツ。1854(安政元)年に竣工した台場で、往時は海

観音埼灯台

観音埼灯台

1866(慶応2)年、アメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ改税条約(江戸条約)によって建設を約束した8ヶ所の条約灯台のひとつで、もっとも早く完成、点灯した洋式灯台が県立観音崎公園の高台に建つ観音埼灯台。現在の灯台は大正14年築の3

野島埼灯台

房総半島最南端、太平洋に突き出ている南房総市白浜町の台地に建つ灯台。灯火部分に上ることの可能な参観灯台で、狭く急な階段を上れば太平洋と、南房総国定公園に指定された南房総の岩礁地帯を一望に。観音埼灯台についで古い灯台で「日本の灯台50選」に選

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ