愛知県稲沢市と愛西市との境、日光川沿いにある中世の城跡が勝幡城(しょばたじょう)。織田信長の祖父・織田信定(おだのぶさだ)が尾張国の海西郡を手中に治めた永正年間(1504年~1521年)に築城された城で、近年の研究で、織田信長が生まれた城の可能性が高まっています。
織田信長の祖父、織田信定が築城
築城当初は塩旗城(しおばたじょう)と呼ばれていましたが、縁起が悪いと、織田信定もしくは信長の父・織田信秀(おだのぶひで)が勝ち旗の意を込め、勝幡城(しょばたじょう)に改称したと伝えられています。
織田信秀は永正5年(1508年)、勝幡城に生誕、享禄元年(1528年)、織田信定の没後、跡目を継いで尾張守護斯波氏(しばし)の清須三奉行として、清須城(清洲城)に勤仕しています。
城の中心は日光川沿いの稲沢市平和町城之内(嫁振橋の東側)と推測され、城の南端部分に「勝幡城跡織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」の石碑が立っています。
二重の堀で囲んだ中世の館城(城郭ではなく、居館の周囲に堀と土塁を巡らせたもの)で、東を流れる三宅川が外堀の役目を果たしていました。
「勝幡村古城絵図」には、本丸は東西29間、南北43間の方形土塁と記されていますが、江戸時代に萩原川が大規模に掘削され日光川となったことで、勝幡城の城跡の部分は失われ(現在は三角州のような形状に)、その後の開発などで遺構も残されていません(そのため、「幻の城」といわれることも)。
城跡と推測される日光川の嫁振橋(稲沢市)の東には「勝幡城址碑」が立ち、愛西市側の名鉄津島線勝幡駅から勝幡城への散策ルートには、勝幡城址石碑に導く路面標示があり、勝幡駅ロータリーには「織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長像」、勝幡城推定復元模型が設置されています。
織田信長生誕の地は勝幡城!?
織田信長の生誕地に関しては、これまで名古屋城の前身、那古野城(なごやじょう)だったとされていました(那古野城は、現在の名古屋城二之丸一帯)。
享禄5年(1532年)頃、織田信秀が今川氏豊を追放し、拠点を勝幡城から那古野城に移し、天文3年5月12日(1534年6月23日)、織田信長はこの那古野城で生まれたというもの。
しかし宝永5年(1708年)の『尾州古城志』(びしゅうこじょうし) には、織田信長は勝幡城で生誕したと記され、織田信秀は、天文7年(1538年)に那古野城を奪取したとすれば、勝幡城で生まれたことに。
愛西市教育委員会職員で郷土史家の石田泰弘さん(江戸時代に伊勢神宮に向かう旅行者の大半は海路より陸路を選んでいたと分析するなど、精力的に発表しています)が、地元に残る史料など精査して平成4年に信長生誕の城は勝幡城とする論文を発表、現在では勝幡城説が有力となり、稲沢市、愛西市では「織田信長の生誕地」をPRしています。
勝幡城 | |
名称 | 勝幡城/しょばたじょう |
所在地 | 愛知県稲沢市平和町城之内105 |
関連HP | 稲沢市公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄勝幡駅から徒歩15分 |
問い合わせ | 稲沢市観光協会 TEL:0587-22-1414/FAX:0587-22-1424 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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