愛知県知多市大草にある城跡が、大草城(おおくさじょう)。天正2年(1574年)、織田信長の弟・織田長益(おだながます=織田有楽斎/おだうらくさい)が、尾張国知多郡を与えられ、大草城を築城していますが、小牧・長久手の戦い後、摂津国に移ったため、完成することなく廃城になっています。
信長の弟・織田長益が築城途上で移封された「幻の城」
矢田川を挟んだ対岸には大野湊を掌握した佐治氏の本拠地・大野城(現・愛知県常滑市金山)がありますが、3代・佐治信方(さじのぶかた=妻は織田信長の妹のため、信長の義弟)は伊勢長島攻めに水軍として参戦していますが22歳の若さで討ち死に。
城主として大野城に織田長益が入城しますが、水利の悪さから大草城を築城しています。
大草城を築いたのは、対岸の長島(一向一揆の拠点)をにらみ、伊勢湾の海上権を確保するため。
本丸、二の丸、三の丸を配し、本丸、二の丸の周囲を堀と水堀、土塁で囲った梯郭式縄張(ていかくしきなわばり)で、江戸時代に尾張藩の初代藩主・徳川義直は、知多半島防備の拠点として家老・山澄英龍(やまずみひでたつ)を配していました(山澄屋敷跡は畑になっています)。
戦国時代の平山城ながら、堀と土塁の保存状態がいいのは、江戸時代に尾張藩が保全したから。
城跡一帯2.87haは、昭和54年に大草公園として整備され、展望台として鉄筋コンクリート3階建ての模擬天守(二層櫓)が建っています。
大草城 | |
名称 | 大草城/おおくさじょう |
所在地 | 愛知県知多市大草東屋敷110-1 |
関連HP | 知多市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄大野町駅から徒歩10分 |
駐車場 | 8台/無料 |
問い合わせ | 知多市緑と花の推進課 TEL:0562-33-3151 |
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