愛知県豊川市伊奈町、東海道新幹線と国道23号(豊橋バイパス)の交差する豊川河口近くにある中世の城跡が、伊奈城(いなじょう)。室町時代に伊那本多氏が築城した城館で、天正18年(1590年)、徳川家康の関東移封で廃城になるまで、松平氏(徳川家)の東三河の拠点のひとつとして機能しました。
徳川家の家紋「葵の紋」発祥ゆかりの地とも
伊奈城は、室町時代の永享12年(1440年)頃に本多定忠(ほんださだただ)が伊奈村を平定、本多定助(ほんださだすけ)とともに築城したと伝えられる中世の城館で、伊奈本多氏8代の居館。
戦国時代、享禄2年(1529年)、松平清康(まつだいらきよやす=徳川家康の祖父)の東三河侵攻で、吉田城(現・愛知県豊橋市)を攻略する際、時の城主・本多正忠(ほんだまさただ)は先陣となり吉田城を攻め落とし、さらに松平清康を伊奈城に招いて祝宴を上げています。
この宴の際に本多正忠は、『春秋左氏伝』(しゅんじゅうさしでん=孔子が編纂した歴史書『春秋』の注釈書)に倣い、城内の池(花ヶ池)から採った水葵(すいき=じゅんさい)の葉に肴を盛って差出したところ、本多家の立葵紋を譲り受けて松平家の家紋とすることにし、徳川家の家紋「葵の紋」発祥ゆかりの地ともいわれています。
一帯は伊奈城趾公園として整備され、花ヶ池も現存し、物見櫓が復元されています。
遺構としては高さ5mほどの土塁の一部と本丸の郭跡のみ確認できます。
豊川市内には本多家の伊奈城のほか、牧野家の居城・牛久保城の城跡があります。
ちなみに、徳川家の三つ葉葵紋に関しては、松平家が先祖を同じくする酒井家の武功にあやかろうと家紋を献上させ、酒井家はそれに似た片喰紋にしたという説などもあり、定かでありません。
伊奈城 | |
名称 | 伊奈城/いなじょう |
所在地 | 愛知県豊川市伊奈町丸ノ内84-1 |
関連HP | 豊川市公式ホームページ |
電車・バスで | JR西小坂井駅から徒歩30分 |
ドライブで | 東名高速道路豊川ICから約11km |
駐車場 | あり/無料 |
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