東京にある大名庭園は、東京とりっぷ取材班の調べで全23。実は、ひょっとするとという候補がほかにもありますが、(池が大名庭園時代と同じ位置にあるなど)確定しているのは23ヶ所にすぎません。その23庭園を、取材班が「お気に入り順」に紹介します。
大名庭園の存続は明治維新が鍵となった!
現存する大名庭園を見て感じることは、やはり明治新政府は薩長連合ということ。最後まで新政府にたてついた奥羽列藩同盟の東北の諸藩で庭園が残っているのは、南部藩(盛岡藩)のみ(南部藩下屋敷=有栖川宮記念公園/東京都港区)。しかも南部藩も、最後には朝廷側に寝返っているので、かろうじてという感じになっています。
庭園が現在に残っているのは、明治維新後に、天皇家と皇族、公・侯・伯・子・男の爵位を有する華族、そして明治新政府の重鎮(元・薩摩・長州藩士)、新たに起こった財閥(新興ブルジョアジー)が、藩邸を買い上げたもの。
明治維新の際に東京市の半分の土地を占めていた大名屋敷は、それを維持できなくなった(幕末に多くの藩は財政破綻していました)藩知事らが売却しているのです。
長州藩士で奇兵隊の軍監だった山県有朋(山縣有朋)は、日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」、さらに「元老中の元老」となりますが、いかめしい肩書の反面、庭園に造詣が深く、稀代の庭師・7代目小川治兵衛を使って京都に無鄰菴(むりんあん)を作庭し、東京にも有朋好みの庭を築いています。久留里藩下屋敷の庭園を改造して築いたその「有朋好み」の庭は、その後、持ち主が変わり、大きく変貌して椿山荘の庭園として今に伝えられているのです。
佐賀藩士(300石の上士の家柄)だった大隈重信も、彦根藩下屋敷を購入し、自邸としています。下屋敷時代の大名庭園が、今に伝わる大隈庭園というわけなのです。
お気に入り度★★★ ぜひとも訪ねたい大名庭園はここ!
東京周辺に住んでいるなら、はたまた庭園好きならぜひとも訪ねたいのが気に入り度★★★の庭園。
江戸時代の大名庭園の雰囲気を今に伝える名園揃いです。
ここを訪ねずして、江戸・東京は語れません!
大名も将軍も、ここで姫君と歩き、花を愛(め)で、心癒されたことでしょう。
つまり、現在人にとっても、デートに、お花見に、癒やしスポットとしても絶好! というわけなのです。
将軍家別邸/浜離宮恩賜庭園
★今も海の水を庭園に引き入れる潮入りの池泉回遊式庭園が現存。
★松の御茶屋、燕の御茶屋を復元。将軍家の鴨場も現存。
★菜の花、桜、ボタンが見事。東京都最大の黒松も。桜の開花期にはライトアップも実施。
■将軍家の別邸浜御殿→浜離宮(天皇家の離宮)→東京都という変遷。
川越藩下屋敷/六義園(りくぎえん)
★5代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が池泉回遊式庭園を造園。
★7年の歳月をかけ、起伏を活かした庭園を作庭。紀州(和歌山県)の景勝地、和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を具現。
★枝垂桜、ツツジ、紅葉が見事で、桜と紅葉はライトアップも実施。
■川越藩下屋敷→三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎邸→東京市(現・東京都)
水戸藩上屋敷/小石川後楽園
★水戸藩初代藩主・徳川頼房が造園し、徳川光圀(水戸黄門)が改修した池泉回遊式庭園。
★西湖や廬山も採り入れ、日本庭園に中国的、儒教的な雰囲気を導入。
★梅、ツツジ、花菖蒲など四季を通じて花見が楽しめる。
■水戸藩上屋敷→東京砲兵工廠(陸軍省)→東京都
佐倉藩・紀州藩浜屋敷/旧芝離宮庭園
★佐倉藩主、小田原藩主で老中の大久保忠朝の造園した潮入りの庭園。
★小田原から庭師を呼び寄せ、石も小田原から取り寄せるなどしたこだわりの名園。根府川山や中島の石組は一見の価値が。
★西湖の堤など中国・西湖の景を模した名園が往時のままにほぼ現存。
佐倉藩下屋敷→小田原藩下屋敷→紀州徳川家芝御屋敷→有栖川宮家邸→芝離宮(天皇家)→東京市(現・東京都)
関宿藩下屋敷/清澄庭園
★関宿藩主・久世氏の下屋敷時代の庭園がベース。
★三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が改修。池の端を歩けるように石を配置した「磯渡り」などが楽しい。
★見事な守りは関東大震災の火災から2万人の命を守った!(庭園の防災機能を再確認)
■関宿藩下屋敷→岩崎弥太郎邸(岩崎邸)→東京市(現・東京都)
久留里藩下屋敷/椿山荘庭園
★椿が自生する景勝地「つばきやま」に久留里藩黒田氏が庭園を造園。
★山県有朋が西南戦争の功により年金740円をもらって旧藩邸を購入し、庭園を大改修。
★大正7年に藤田財閥・藤田平太郎男爵が貰い受けて維持管理、改修。三重塔などは藤田平太郎が移築。
■久留里藩下屋敷→山県有朋邸「椿山荘」→藤田財閥→藤田興業→藤田観光(ホテル椿山荘東京)
熊本藩下屋敷/肥後細川庭園(新江戸川公園)
★目白台台地の自然景観を活かした池泉回遊式庭園で、立体的眺望が自慢。明治以降も細川家が保持。
★湧水を使ったやり水形式の風雅な庭園。
★よく手入れされ、松の雪吊りなども施され冬季も楽しい。秋にはライトアップも。
■旗本の邸宅→御三卿・清水家邸→御三卿・一橋家邸→熊本藩細川家下屋敷→細川家本邸→東京都(新江戸川公園→肥後細川庭園)
笠間藩・宮津藩下屋敷/旧安田庭園
★元禄年間に本庄宗資が造園した隅田川の水を取り入れた潮入りの回遊式庭園。
★池には鯉が泳ぎ、雪見灯籠が配置され風流。
★現在も人工的に干満を再現し、眺めの変化が江戸時代同様に楽しめる(しかも入園無料)。
■本庄松平氏邸(笠間藩下屋敷→宮津藩下屋敷)→旧岡山藩主・池田章政侯爵邸→安田財閥の祖・安田善次郎邸→東京市(現・東京都)
高遠藩下屋敷/新宿御苑
★広大な新宿御苑は高遠藩内藤家下屋敷の跡。内藤新宿の名の由来となった内藤家は新宿の大地主だった。土地は内藤清成が家康から拝受。
★高遠藩下屋敷時代の庭園「玉川園」にあった池が玉藻池として現存。玉藻池周辺は江戸の名園だった時代を偲ばせてくれる。
★新宿御苑入口の無料エリアに玉川上水の遊歩道がある。
■高遠藩下屋敷(庭園は「玉川園」)→皇室の御料地・新宿植物御苑(宮内省)→新宿御苑(宮内省→環境省/一般開放は昭和24年)
お気に入り度★★ できれば観賞したい大名庭園はここ!
園内を探せば、大名庭園時代の遺構や巨木などを確認できる庭園もまだまだ東京には残されています。
そんな庭園が★★。
ホテルでランチがてら、武蔵野の自然が残る園内を散歩と、のんびり散策できる庭園が並んでいます。
また早稲田大学、東京大学と広大な大名屋敷が大学の用地に変わり、かろうじて池だけが大名庭園時代を偲ばせる場所もあります。
御三卿・清水家下屋敷/甘泉園庭園
★江戸城北の丸、清水門奥に本邸を構える清水家の別邸で、徳川三卿ゆかりの山あり谷ありの景観を活かした庭園が現存。
★湧き水がお茶に適して評判だったことが「甘泉園」の名の由来で、今も風雅な雰囲気が伝えられている。
■清水家下屋敷→相馬子爵家邸→早稲田大学→東京都(都立公園)→新宿区(区立公園)
将軍家(江戸城)/二の丸庭園(皇居東御苑)
★江戸城二の丸は、本丸に比べて10m以上の落差がある低地に位置し、脇の濠も湧水から成り立っています。その湧水を活かした大名庭園。
★往時の遺構はとくに残されていませんが、江戸城の貴重な庭園として復元されている。
■江戸城二の丸→宮内庁→皇居東御苑(宮内庁)
彦根藩下屋敷/ホテルニューオータニ東京
★大名庭園時代の名残である池と巨木が現存。東京オリンピック(昭和39年)を契機にホテルに。
★灯籠などは大谷米太郎が集めたもので江戸時代以前の貴重な灯籠多数。
■彦根藩下屋敷→伏見宮邸→大谷重工業社長・大谷米太郎邸→ホテルニューオータニ東京
高松藩下屋敷/国立科学博物館附属自然教育園
★高松藩主松平頼重が造園したと推測される庭園が起源。
★大名庭園時代の池と巨木がそのまま現存。散策に絶好。園内には都心とは思えない自然が残されている。
■高松藩下屋敷→陸海軍の火薬庫→白金御料地(皇室の土地)→国立自然教育園→国立科学博物館附属自然教育園
南部藩(盛岡藩)下屋敷/有栖川宮記念公園
★麻布台地とその崖下の変化に富んだ地形を活かした大名庭園が起源。
★台地の崖下に湧く泉を利用し、滝も落ち、園内は大使館の町とは思えないほど緑が濃い。
■南部藩(盛岡藩)下屋敷→有栖川宮邸→高松宮邸→東京市→港区(区立公園)
加賀藩上屋敷/三四郎池(東京大学)
★加賀藩前田家の大名庭園「育徳園」の心字池が通称「三四郎池」で、赤門とともに大名屋敷の歴史を今に伝える。
★築山などは破却されていますが、池の周囲には自然が残されている。
■加賀藩上屋敷→東京医学校(東大医学部の前身)→東京大学
彦根藩下屋敷/大隈庭園(早稲田大学)
★大名庭園をベースに大隈重信が佐々木可村に依頼して和洋折衷式の芝生の広がる庭園に大改造。
★山あり谷ありの起伏と、池の部分がわずかに大名庭園時代を偲ばせている(往時の遺構は確認できません)。
■彦根藩井伊家下屋敷→元高松藩松平氏(松平頼聡)別邸→大隈重信邸→早稲田大学大隈庭園
水戸藩下屋敷/隅田公園(墨田区)
★水戸藩下屋敷時代(小梅水戸邸)の池が関東大震災などの荒波を超えて奇跡的に現存。
★徳川吉宗を起源とする桜並木は、今も江戸の春の風物詩で、日本さくら名所100選に選定。
■水戸藩下屋敷→元11代水戸藩主・徳川昭武邸(水戸徳川家本邸)→震災復興公園→区立公園
お気に入り度★ 近くに行ったら立ち寄りたい大名庭園はここ!
現存する東京の大名庭園は、明治維新、関東大震災、第二次世界大戦と都市化の波だけでなく、幾多の荒波をくぐり抜けています。
都心の小さな公園の貴重な緑と池として残るのも、大名庭園が起源とするところも多いので、近くに行ったらぜひ立ち寄ってみましょう。
とくに六本木には、毛利庭園、檜町公園と長州ゆかりの庭園が2ヶ所。
どの庭園もそのドラマチックな変遷にもぜひ、注目してください。
岡山藩下屋敷/池田山公園
★大名庭園時代の地形(高低差)を活かした池泉回遊式の庭園(大名屋敷の奥庭部分のみ)が現存。
■岡山藩池田家下屋敷→池田邸→個人宅→品川区(区立公園)
熊本藩下屋敷/戸越公園
★池を中心に渓谷や滝、築山、さらには薬医門(正門)、冠木門(東門)が大名庭園時代を偲ばせてくれる。
■熊本藩細川家下屋敷(戸越屋敷)→松江藩松平家屋敷→上山藩松平家屋敷→久松松平家屋敷→久松伯爵邸→吉井幸蔵伯爵邸→彫刻家・堀田瑞詳邸→三井家所有→荏原町(現・品川区)→東京市(現・東京都)→品川区(区立公園)
紀州藩下屋敷/鍋島松濤公園
★渋谷界隈でも数少ない湧き水と池は、紀州藩下屋敷時代の名残と推測できる。公園名は明治時代の鍋島家の茶園「松濤園」に由来。
■紀州藩下屋敷→鍋島家の大茶園「松濤園」(東海道線開通までは一帯に茶畑が広がっていた)→東京市(現・東京都)→渋谷区(区立公園)
長府藩上屋敷/毛利庭園(毛利甲斐守邸跡)
★六本木ヒルズのビルの谷間の庭園。テレビ朝日の中継スポットでもお馴染みの庭園は、江戸時代の大名庭園の一部を復元。
■長府藩上屋敷(幕末に乃木希典生誕)→増島六一郎邸→ニッカウヰスキー東京工場→テレビ朝日→六本木ヒルズ
長州藩下屋敷/檜町公園
★長州藩毛利家下屋敷に檜が多かったことが名の由来。東京ミッドタウンの完成とともに大変貌しましたが、池が大名庭園の面影を残す。
■長州藩毛利家下屋敷→第1師団歩兵第1連隊→アメリカ軍→防衛庁→東京都(都立公園)→港区(区立公園)
尾張藩下屋敷/箱根山(都立戸山公園)
★江戸で最大の大名庭園を誇った御三家筆頭・尾張藩徳川家の大庭園の一部。箱根山は庭に築かれた築山「玉円峰」ですが、現在では築山しか現存していない。
■尾張藩徳川家下屋敷「戸山山荘」→陸軍戸山学校(陸軍軍医学校、練兵場)→アメリカ軍→戸山ハイツ・都立戸山公園
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag