長勝寺

弘前城の南西に位置する寺町、曹洞宗33ヶ寺が連なる禅林街の中心となる名刹。周辺には33もの寺院が建ち並び実に壮観。曹洞宗33ヶ寺をここに集めたのはいざというときには防御の役割も担わせるため。そのうちのひとつ長勝寺は津軽家代々の当主が眠る寺です。

津軽藩歴代藩主の菩提寺は重要文化財が豊富

津軽藩2代藩主・津軽信枚(つがるのぶひら)が、弘前城の南西(風水でいう裏鬼門)の砦として、弘前城着工から間もない1610(慶長15)年に津軽一円の主要寺院をこの地に集め、曹洞宗33ヶ寺の寺町を築きました。

長勝寺も、1528(享禄元)年、大浦盛信が父・光信の菩提を弔うため、菊仙梵寿を開山として種里(現・西津軽郡鰺ヶ沢町種里町)に創建された寺。
その後、大浦城へと移ったのに伴い賀田大浦(現・弘前市賀田字大浦)へ、堀越城へ移った際に堀越(弘前市堀越)へと移りましたが、1610(慶長15)年に、津軽信枚の命で弘前城下に移りました。
まさに津軽藩の祖の時代から、城主とともに転々とした菩提寺です。

1629(寛永6)年に津軽信牧が建立した高さ16mの三門、1610(慶長15)築の重厚な本堂、大浦城の台所を移築したとも伝えられる庫裏(くり)、津軽藩の霊廟5棟(初代為信の妻、2代藩主・信枚と妻、3代藩主・信義、6代六代藩主・信著)、「嘉元四年」(1306年)の銘が入った銅鐘、1629(寛永6)年築の御影堂などいずれも国の重要文化財に指定されています。

1839(天保10)年、豪商・中田嘉平衛が寄進した八角形の栄螺堂(さざえ堂)は、右回りの回廊と直進階段を併用して昇降する不思議な建物で、東北では会津とここにしかありません。
栄螺堂(さざえ堂)は、1780(安永9)年に江戸本所の羅漢寺に造られた三匝堂がルーツで、その後、上州、会津など江戸以北に建立されました。
現在、栄螺堂(さざえ堂)は、蘭庭院が管理しています。

長勝寺
名称 長勝寺/ちょうしょうじ
所在地 青森県弘前市西茂森1-23-8
関連HP 弘前市公式ホームページ
電車・バスで JR弘前駅から弘南バス四中校行きで20分、茂森町長勝寺入口下車、徒歩10分
ドライブで 東北自動車道大鰐弘前ICから約12km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 長勝寺 TEL:0172-32-0813
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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