弘前八幡宮

津軽藩2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)の治世、松前城の築城に伴って1612(慶長17)年、鼻和郡八幡村(旧岩木地区)の八幡社(大浦城の鬼門鎮護として機能していました)を、弘前城の鬼門(東北)の鎮護としたのが始まり。以来、弘前総鎮守、弘前城鬼門守護の社として津軽藩の援助を受けて繁栄しました。

弘前城の鬼門鎮護の社

本殿、唐門は、1612(慶長17)年築と伝えられ、随所に桃山文化の色を残した建物で国の重要文化財。
現存する青森県最古の神社建築となっています。

祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)、比売女神(ひめがみ)。
誉田別命は、武神として尊崇され、神仏習合時代には八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも称されていました。

神仏習合の藩政時代には、弘前八幡宮の別当(管理する寺)には領内の寺社総取締(僧録)である最勝院があたり、参道の東側に6ヶ寺、西側に6ヶ寺、合計12ヶ寺の塔頭(たっちゅう)が軒を連ねていました。
明治の神仏分離で、塔頭は廃寺となり、最勝院も移転し、寺町は失われています。

坂上田村麿が蝦夷征伐で宇佐八幡宮の分霊を勧請して小祠を祀ったことに創始するとも伝えられますが、当時の津軽は蝦夷(えみし)の領有する地で、定かでありません。

「寛文4年」(1664年)の銘が右前足にある石造狛犬は、斉藤平左ェ門吉林の作で、弘前市の文化財に指定されています。
越前国(現・福井県)、三国湊から北前船で運ばれた越前狛犬。
笏谷石(しゃくだにいし=福井の足羽山で採掘される凝灰岩)を使い、前肢は立てて胸を張出し、後肢は折り曲げて台座上に座することに特徴があります。

弘前八幡宮
名称 弘前八幡宮/ひろさきはちまんぐう
所在地 青森県弘前市八幡町1-1-1
関連HP 弘前市公式ホームページ
電車・バスで JR撫牛子駅からタクシーで10分
ドライブで 東北自動車道大鰐弘前ICから約12km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 弘前八幡宮 TEL:0172-32-8719
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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