青森県むつ市川内町にある鉱山の廃墟跡が、安部城鉱山跡(あべしろこうざんあと)。大正6年のピーク時には日本屈指の生産量を誇ったという安部城鉱山の跡です。江戸時代に銀鉱脈が発見されたという歴史ある鉱山ですが、。レンガ造り、コンクリート製の2本の煙突や煙道の一部が残されています。
大正初期、日本屈指の銅山として栄えた鉱山の跡
第一次世界大戦勃発(大正3年)による金属などの輸入の途絶は、安部城鉱山に活況をもたらし、日本屈指の銅山へと発展します。
露天掘りで黒鋼を掘った銅山で、最盛期の大正6年には鉱山事務員111人、 鉱山労働者1387人、 家族1745人を抱え、 鉱山町の川内(かわうち)は人口1万2000人と、青森県下で青森、 弘前、 八戸に次ぐ人口を持つ町として繁栄していました(大正6年に町制施行)。
さらに大湊港を中心とした陸奥湾を国際貿易港にしようという思惑もあって大いに注目された鉱山だったのです。
最盛期の大正6年、銅の相場が低落し、大正12年3月には精錬を中止しています(大正14年閉山)。
当時は、2万haに影響があるほどの煙害で悩まされていたのだとか(鉱山周辺は一面はげ山
に)。
現在、周辺は林野庁・高野山国有林の「遊々の森」(鉱山の森/下北森林管理署)として整備され、案内板などが設置されています。
下北ジオパーク、川内エリアのジオサイトにもなっています。
安部城鉱山跡 | |
名称 | 安部城鉱山跡/あべしろこうざんあと |
所在地 | 青森県むつ市川内町 |
ドライブで | 百石道路・第二みちのく有料道路下田百石ICから約121km。青森自動車道青森東ICから約125km |
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