京都にあった日本最長のケーブルカーとは!?  廃墟となった駅舎が現存!

愛宕山鉄道

かつて京都市に、日本最長のケーブルカーがあったことは、あまり知られていません。日本の私鉄は、明治時代後期〜昭和初期に、参詣鉄道として敷設された線が数ありますが、山岳信仰の霊山にもケーブルカーが敷設されたのです。京都では、東の比叡山、西の愛宕山(あたごやま)がその対象でした。

戦前は嵐山から鉄道とケーブルを乗り継いで愛宕神社へ

愛宕山鉄道
往時の絵図を元に制作した愛宕山鉄道の沿線案内図

亀岡市との境に位置する愛宕山は、神仏習合時代に愛宕権現(あたごごんげん=山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号)が祀られ、日本一の火防(ひぶせ)の霊山として、多くの参詣者を集めました。

創建も、平城京遷都以前の大宝年間(701年〜704年)、修験道を創始した役小角(えんのおづぬ=役の行者)と加賀・白山を開山した泰澄(たいちょう)が登山した際に、天狗(愛宕山太郎坊)の神験に遭遇、神廟を築いたのが始まりと伝えられます。

「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕さんには月まいり」といわれ、都では修験道場として栄え、とくに江戸時代には火防の霊山として信仰を集め、全国に愛宕社が築かれたのです。

明治維新の神仏分離、廃仏毀釈で愛宕山白雲寺は廃絶され、愛宕神社となりましたが、山上の愛宕神社へ登拝する人は数多く、京都に電力を供給する京都電燈と、京阪電気鉄道は共同出資して愛宕山鉄道を設立(昭和2年8月1日、愛宕山鉄道設立)。

山麓の嵐山駅〜清滝駅に平坦線、清滝川駅〜愛宕駅に鋼索線という乗り継ぎ形式の鉄道で、昭和4年に開業。
同時に、愛宕山ホテル、飛行塔(遊園地)、テント村、スキー場などを設け、レジャー的な色彩をも有していました。

鋼索線は2.13kmで、日本の歴史上、このケーブルカー(鋼索鉄道)が、今も最長を誇っています。
現在営業するケーブルカーで日本最長は、比叡山坂本ケーブルカーで、全長2.0km。
わずか、130mですがこの愛宕山には負けています。
しかも愛宕山の鋼索線は、中間駅なし(比叡山坂本ケーブルは、中間に2駅)。
高低差638.83mを一気に駆け上りました。
愛宕駅から愛宕神社までは距離があったため、ロープウェイ(索道)で結ぶ計画もありましたが、実現せず、軍靴の高鳴りで全線が不要不急線に指定され、レールなどの資材を軍に供出するため昭和19年2月11日に廃止。

戦後も復活することなく、今では忘れ去られ、「幻のケーブルカー」になりつつあります。
廃墟となりながらも愛宕駅の駅舎は現存。
荒廃が進んでいるので、立ち入りは厳禁です。

愛宕山鉄道
愛宕山鉄道鋼索線の廃線跡
京都にあった日本最長のケーブルカーとは!?  廃墟となった駅舎が現存!
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愛宕山ケーブル愛宕駅跡

愛宕山ケーブル愛宕駅跡

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