旧海軍望楼
宗谷岬突端の高台に設けられた軍事史跡。明治8年の樺太・千島交換条約(樺太での日本の権益を放棄、得撫島以北の千島18島をロシアが日本に譲渡)で、宗谷海峡は国境となり防備の必要に迫られます。当時、最強と謳われたロシアのバルチ…
宗谷岬突端の高台に設けられた軍事史跡。明治8年の樺太・千島交換条約(樺太での日本の権益を放棄、得撫島以北の千島18島をロシアが日本に譲渡)で、宗谷海峡は国境となり防備の必要に迫られます。当時、最強と謳われたロシアのバルチ…
稚内市のノシャップ岬(野寒布岬)に建つ灯台。高さは42.7mで北海道では1番、全国でも島根県の日御崎灯台に次いで2番目の高さを誇っているノッポな灯台。海の向こうには利尻島、礼文島を眺め、宗谷岬灯台と同様にサハリン(樺太)…
北海道小樽市祝津の高島岬にある赤白のツートンカラーの灯台。明治16年、北海道では納沙布岬灯台(明治7年初点灯/根室市)に次いで2番目に初点灯という歴史ある灯台。映画『喜びも悲しみも幾歳月』(昭和32年・松竹)ではラストシ…
宗谷岬突端の高台(標高30m)に設けられた日本の最北に位置する灯台。宗谷海峡は、ロシアと国境が接する国際海峡で、そこを航行する船の安全を守っているのです。歴史は古く、明治18年に八角形鉄造の初代宗谷岬灯台が点灯。現在の灯…
宗谷岬から西(稚内市街方面)へ3kmほど走った第2清浜地区の海岸線に立つ石碑。1808(文化5)年4月13日、幕府から命を受けた間宮林蔵(まみやりんぞう=当時29歳)は、松前奉行支配調役・松田伝十郎とともに、宗谷から第1…
気象庁による常時観測対象の恵山(617.6m)は、火山活動も活発な活火山。二重式火山の火口原、標高330mまでの賽の河原駐車場までは車で進入することが可能で(夜間は通行不可)、賽の河原と呼ばれる火口原や、恵山展望台、岬展…
函館から東へ50km、太平洋と津軽海峡に挟まれた亀田半島東端の標高618.1mの活火山が恵山(えさん)。山麓の登山口にはつつじ公園があり、5月下旬〜6月初旬には60万本ともいわれるエゾヤマツツジ、ドウダンツツジが咲き誇り…
函館の東45km、太平洋と日本海の境に突き出した断崖の岬。亀田半島東端に位置する岬先端部は一巡する車道がないため、北側の椴法華(とどほっけ)側からのアプローチとなります。岬の突端には、明治23年に初点灯、昭和24年に再建…
幕府直轄領(天領)のうち重要な場所に置かれた奉行所が遠国奉行(おんごくぶぎょう)。北辺警備のために箱館(現在の函館)に1802(享和2)年に設置されたもの。箱館戦争が終結した2年後の明治4年に解体されていますが、4年間の…
松前藩戸切地陣屋跡が正式名で、幕末の1855(安政2)年、徳川幕府が松前藩に築造を命じた西洋式の城郭。五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1857(安政4)年に着工していますからこちらの方が先輩格の城となりま…
江戸時代、米を産しない蝦夷地(えぞち=北海道)で松前藩は鰊(ニシン)を「鯡」(魚に非ず)と記して、主産物として北前船で内地へと送って藩財政を支えました。それでも松前藩は、米作への探求を行ない、大野平野(現・北斗市)に水田…
北斗市街の西に位置する八郎沼を中心とした公園。明治11年、開拓使を退職して大野に移住し、明治13年頃から酪農を始めた伊予国新谷藩(愛媛県大洲市)出身の士族、山田致人が、牛の飲料用にと、池を掘って水を蓄えたのが八郎沼の始ま…
北斗市にある絶景で有名な「きじひき高原」。木地挽山(683m)の山上に広がる高原で、北斗市公共育成牧場の牧草地になっていますが、少し穴場の展望台が噴火湾展望台。北斗市市街から入山の場合は「きじひき高原パノラマ展望台」を越…
木地挽山(683m)の山腹に広がる330haの北斗市公共育成牧場。牧草地が広がるきじひき高原は、駒ヶ岳と大沼、小沼、じゅんさい沼など大小の沼、さらには函館市街、函館山、津軽海峡を箱庭のように眺める展望地。きじひき高原の函…
北斗市の標高683mの木地挽山の中腹に広がるきじひき高原。きじひき高原キャンプ場から2kmほど上った北杜市公共育成牧場のなかのもっとも眺望のいい場所(仁山高原上部の標高550m地点)には、駐車場完備のパノラマ眺望台があり…
正式名称は「厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」で、北斗市三ツ石の高台に建つ厳律シトー会(トラピスト会)の修道院。明治29年にフランス人修道士ジェラル・プーリエらが仮修道院を建てたのが始まりで、日本最初の修道院とし…
姥神大神宮の創建は定かでありませんが地元の折居という名の老女(天変地異を未然に知らせる老女)を折居様と崇めたことに由来し、1447(文安4)年といわれています。つまりは北海道最古の神社。有名な『渡御祭』(8月9日〜11日…
江差の古い家並みの並ぶ旧国道1.1kmを「いにしえ街道」として整備していますがその拠点となる施設が江差町会所会館。旧江差町役場本庁舎は、北前船で繁栄する江差の町民が拠出した財源で、1845(弘化2)年に町会所(町役所)と…