【熊野詣の基礎知識】 熊野三所権現とは!?

那智参詣曼荼羅

世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録の熊野三山を巡るときに、忘れてはならないのが明治維新までの神仏習合時代。明治の神仏分離、廃仏毀釈で「熊野詣」は、熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の「神社巡り」となっていますが、これでは熊野巡りの本質から外れてしまいます。熊野三所権現を知ってから熊野詣に出かけましょう。

神仏習合思想「本地垂迹説」を知ってから、熊野へ!

神仏習合の時代に、熊野本宮の主神である家津御子大神(けつみこのおおかみ)には阿弥陀如来、新宮の主神である熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)には薬師如来、那智の神である熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ)には千手観音が本地仏(ほんんじぶつ)としてあてられました。

阿弥陀如来(本宮)は来世の救済、薬師如来(新宮)は過去の救済、千手観音(那智)は現世の利益をつかさどるというのが教義です。
実は、出羽三山も羽黒山が現世(正観世音菩薩=観音浄土=現在)、月山が前世(阿弥陀如来=阿弥陀浄土=来世)、湯殿山が来世(大日如来=寂光浄土=未来)という構図に。

吉野山の金峯山寺蔵王堂の本尊・蔵王権現も本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現したものなのです。

日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)だとする考えが、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想「本地垂迹説」(ほんじすいじゃくせつ)で、西国三十三所巡りの始まる12世紀頃には、この考えが確立、全国に広まっています。

この考えが、仏・菩薩を本地(真実の身)、神を垂迹(仮の身)とするので「本地垂迹説」と呼ばれています。

とくに熊野や吉野は日本古来の神祇(じんぎ=神道)に、仏教、そして役小角(役行者)が創始した修験道とも相まって神仏習合の聖地となったのです。

深い森林に覆われた紀伊山地の山々を阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、仏が持つような能力を拾得するための山岳修行(修験)の舞台だったことが、神仏習合の聖地を生み出し、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録へとつながっているのです。

こうした神仏習合が今に残る吉野山に比べ、熊野は残念ながら廃仏毀釈の荒波で「神と仏が住まう聖地」としての意味合いが薄れてしまっています。

それでも熊野那智大社の横にはかつての如意輪堂である青岸渡寺が残されているので、熊野那智大社だけではなく、あわせて参拝をおすすめします。

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