京都三熊野とは!?

京都三熊野は、新熊野神社 (いまくまのじんじゃ=熊野本宮大社)熊野神社(=熊野速玉大社)熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ=熊野那智大社)の3社。阿弥陀如来(本宮)は来世の救済、薬師如来(新宮)は過去の救済、千手観音(那智)は現世の利益ををつかさどるというのが神仏習合時代の熊野三所権現の教義です。

後白河上皇が京の都に熊野三山を具現化!

後白河上皇と二条天皇の対立に源を発する平治の乱の結果、京の都では平清盛ら平家が台頭し、平氏政権の成立します。
永暦元年(1160年)、後白河上皇は、平治の乱で焼失した三条殿に代わる新たな院政の拠点として、法住寺殿の造営に取り掛かりますが、法住寺殿の鎮守として熊野那智山から分霊を勧請して現在の新熊野神社を創建しています。
また、この年、初めての熊野詣に出かけていますが、新熊野神社は、熊野詣に出発する前の禊(みそぎ)の場にもなっています。
35年の在院期間のうちに34回の熊野御幸を行なった後白河上皇を筆頭に、鎌倉時代になってからの後鳥羽上皇も24年の在院期間のうちに28回の熊野御幸を行なっていることから、平安時代末から鎌倉時代にかけて、朝廷の間では、熊野信仰が根付いていたことがよくわかります。

後白河法皇は、新熊野神社とともに熊野若王子神社を創建、熊野神社の鎮守の森を整備し、京の都に熊野三所権現を具現化したのです。

新熊野神社

所在地:京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
創建:永暦元年(1160年)
由緒:後白河上皇の命で後白河上皇の居館で院政の政庁となった法住寺殿の鎮守社として平清盛が創建
主祭神:熊野牟須美命(いざなみのみこと)
本地仏:千手観音

新熊野神社

熊野信仰盛んな1160(永暦元)年、後白河上皇が平清盛・重盛に命じて京に創建された神社が新熊野神社(いまくまのじんじゃ)。退位後に院政を敷いた際に、住まいとしたのが現在の京都市東山区に建つ法住寺周辺(法住寺殿)。その鎮守社として新熊野神社が

熊野神社

所在地:京都府京都市左京区聖護院山王町43
創建:弘仁2年(811年)
由緒:修験道の日圓が熊野大神を勧請して創建、白河天皇も尊崇、平安時代末期に後白河法皇が鎮守の森を整備
主祭神:伊邪那岐神(いざなぎのみこと)ほか
本地仏:本地仏は薬師如来

熊野神社

熊野神社

京都府京都市左京区聖護院山王町にある京都の熊野信仰を今に伝える古社が熊野神社。弘仁2年(811年)、役小角(えんのおづぬ)の流れをくむ修験道の日圓が紀伊国熊野から熊野大神を勧請したことに始まり、熊野を信仰した白河上皇が、寛治4年(1090年

熊野若王子神社

所在地:京都府京都市左京区若王子町2
創建:永暦元年(1160年)
由緒:後白河法皇が禅林寺の鎮守として紀州那智権現の若一王子(にゃくいちおうじ)を勧請
主祭神:国常立神くにのとこたちのかみ)ほか
本地仏:十面観音

熊野若王子神社

熊野若王子神社

京都府京都市左京区若王子町、疏水分流沿い、哲学の道の起点となる位置に建ち、桜の季節や秋の紅葉も見事な社が、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)。永暦元年(1160年)、後白河上皇が紀州熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請して

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