松坂城
1584(天正12)年、豊臣秀吉により近江・日野城主から伊勢・松ヶ島城に封じられた蒲生氏郷(がもううじさと)が、四五百森(よいおのもり)に、1588(天正16)年に完成させた平山城が、松坂城。江戸時代初期には松坂藩の藩庁…
1584(天正12)年、豊臣秀吉により近江・日野城主から伊勢・松ヶ島城に封じられた蒲生氏郷(がもううじさと)が、四五百森(よいおのもり)に、1588(天正16)年に完成させた平山城が、松坂城。江戸時代初期には松坂藩の藩庁…
1581(天正9)年に伊勢に侵攻した織田信雄(おだのぶかつ=信長の次男)の家臣・滝川雄利が平清盛が建立と伝わる平楽寺跡に城郭を築いたのが伊賀上野城の創始。1608(慶長13)年、伊賀・伊勢両藩の藩主となった藤堂高虎は津城…
西尾城の一部を復元した歴史公園。西尾城の前身は、承久の乱(1221年)の戦功によって三河国守護となった足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した西条城。足利氏は吉良氏(きらし)と改め、吉良荘を統治。江戸時代に家康の命で酒井重…
亀山城は、1265(文永2)年、関実忠が若山(現・三重県亀山市若山町)に築城した亀山古城に始まる東海道の要衝に位置する城。1590(天正18)年、羽柴秀吉に仕えた岡本良勝が近世的な城郭に変え、その後、歴代藩主の手で城郭が…
木曽三川の河口に位置したことで、尾張、伊勢、美濃3国の、木材や米などの集散地となった桑名。近世城郭は、関ヶ原合戦直後の1601(慶長6)年、徳川家康が徳川四天王のひとり、本多忠勝を桑名に封じたことに始まります。現存するの…
東海道は宮宿(熱田宿=名古屋市熱田区)から「七里の渡し」で伊勢湾の海上を船で渡り(所要は3時間から4時間と推定されています)、揖斐川河口(桑名城の脇)に位置した桑名宿の渡船場に上陸しました。江戸時代の「海上国道」で、その…
松平4代の松平親忠(安祥城主)が、1488(長享2)年年頃に創建した松平徳川家の総氏神が伊賀八幡宮。徳川家康が社殿を造営。その後、3代将軍・徳川家光が社殿を拡張し東照宮(家康)を祭神に加えています。徳川家康の立身出世にあ…
1560(永禄3)年5月19日、小勢の織田信長が今川義元の大軍を破った古戦場で国の史跡。桶狭間(おけはざま)は、東海道では池鯉鮒(知立)宿と有松宿の間に位置しますが、両軍とも東海道を通ってはいません。桶狭間古戦場の正確な…
長篠城は、豊川(寒狭川)と宇連川(三輪川)の合流地点に位置し、ふたつの川を堀に見立てた天然の要害。「長篠城址史跡保存館」は、国指定史跡の長篠城本丸跡脇に建つ城を模した博物館で、戦国時代の武具や出土品を収蔵展示しています。
長篠城(ながしのじょう)は、今川氏親の家臣、菅沼元成が1508(永正5)年に築いた城。1575(天正3)年の長篠の戦いで、時の城主・奥平貞昌(おくだいらさだまさ=奥平信昌)がわずか500の兵で籠城し、1万5000という大…
愛知県知立市にある城跡で、知立神社(知鯉鮒明神)の神主である永見氏が代々城主を兼ねていた館跡。「永見氏家譜」には13代・永見貞春が、保元・平治の乱に北面の武士(朝廷側)として出陣しています。1560(永禄3)年の桶狭間(…
松平4代の松平親忠(安祥城主)が、1475(文明7)年に創建した寺で、松平家(のちの徳川将軍家)の菩提寺。桶狭間(おけはざま)の合戦で今川義元が敗れたとき、大高城から松平元康(徳川家康)が逃げ帰ったのがこの大樹寺です。先…
愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・本丸跡に建つのが、三河武士のやかた家康館。徳川300年を築いた徳川家康の人間像と、その歴史を家康とともに歩んだ三河武士を紹介する博物館。岡崎城の本丸跡、復興天守に寄り添うように…
愛知県岡崎市奥殿町にある陣屋が奥殿陣屋。徳川秀忠に仕え、大坂の陣の戦功により3000石を与えられた松平真次が、大給(豊田市大内町)に陣屋を構えたのが奥殿松平家の始まり。2代目の松平乗次は大坂定番となって1万6000石に加…
岡崎城(愛知県岡崎市)は、徳川家康が出生した城として有名。天守は明治時代に取り壊され、現在の天守は、昭和34年の再建で、1617年(元和3)に本多忠利が再建したものをモデルとしたもの。2〜4階は、江戸時代の岡崎を紹介する…
濃尾平野の東部にある標高85.9mの独立峰が小牧山。織田信長は1563(永禄6)年に小牧山城を築城し、清洲から居城を移していますが、4年後に美濃の斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤龍興)を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、短…
中世に尾張国守護所があり尾張の中心地だった清須(清洲)。1555(弘治元)年に織田信長が那古野城(なごやじょう=名古屋城の前身)から入城し、この清須を拠点に尾張統一を果たし、天下布武への足がかりを築きました。今川義元を討…
織田信長は、1562(永禄5)年に徳川家康と清洲城(清須城)で清洲同盟を結ぶと、いよいよ濃尾平野の制覇、美濃攻略の拠点として1563(永禄6)年、濃尾平野を見渡す小牧山(こまきやま)に城を築いています。小牧山城の構造は、…