岩崎城跡(岩崎城歴史記念館)
岩崎城は尾張国の東端を守る信長の父・織田信秀が築城した織田氏の支城。その後丹羽氏の居城となり、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の二男)の連合軍が戦う小牧・長久手の戦いの激戦地となっています。模擬天守は、岩崎城歴史記念館…
岩崎城は尾張国の東端を守る信長の父・織田信秀が築城した織田氏の支城。その後丹羽氏の居城となり、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の二男)の連合軍が戦う小牧・長久手の戦いの激戦地となっています。模擬天守は、岩崎城歴史記念館…
かつての清洲城の城跡は東海道本線と東海道新幹線によって南北に分断されていますが、南側の城跡が清洲公園(北側が清洲古城跡公園)。「清洲村古城地図」をもとに、清洲城本丸・天守台の地域の保存を目的として大正11年に開園した都市…
熱田神宮の門前にあった東海道・宮宿の東の外れを流れていた精進川(現・新堀川)に架けられていた橋。1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原攻め(北条攻め)の陣中で病死した丹羽郡(にわぐん)の堀尾金助を弔うため、母が私財を投…
江戸と京を結んだ東海道は宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)まで伊勢湾を船で渡りました(海路を嫌った人のための佐屋街道もありました)。その距離から「七里の渡し」と呼ばれた航路で、その渡船場跡が「宮の渡し…
「日本の女優第1号」といわれる川上貞奴(かわかみさだやっこ)が女優引退後、電力王と呼ばれた福澤桃介とともに暮らしていた邸宅を移築保存したもの。大正2年に「名古屋電燈」の取締役に就任した福澤桃介は木曽川の電源開発に着手する…
名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として昭和7年に建てられたレトロな建物。名古屋の陶磁器生産が全盛だった時代の優雅な建物で、1階には素敵な陶磁器が展示されています。スクラッチタイル貼りの外観、アールデコ調の館内とハウス…
大正11年に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設されたネオ・バロック様式の建物。昭和54年まで中部地方の司法の中心としての役割を果たしていたが昭和59年に国の重要文化財に指定され(重要文化財旧名古屋控訴院地方…
正式名は覚王山日泰寺(かくおうざんにったいじ)。明治33年にシャム国皇帝(タイ国王)から贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)と金銅の仏像を安置するため、明治37年に創建された寺。仏教各派が輪番で管理を行なう日本で唯一の超宗派の寺…
JR名古屋駅の駅ビルであるJRセントラルタワーズは、ホテルやデパート、レストラン、オフィスなどが揃う複合施設で、名古屋のランドタワーともなっています。地上51階(245m)のオフィスタワーと地上53階(226m)のホテル…
名古屋能楽堂は、伝統芸能の振興と交流をめざし、平成9年に名古屋城大手門前に開館。「世界最大の能楽堂」がキャッチフレーズになっています。建物は、日本建築の伝統的な手法を取り入れた入母屋造りで、出隅、入隅を繰り返す雁行型。樹…
久屋大通(ひさやおおどおり)の中央に建つ名古屋テレビ塔は、昭和29年に東海地方でテレビ放送開始時に建てられた、日本初の集約電波鉄塔。国の登録有形文化財に指定されています。地上90mの「スカイデッキ」、地上100mの「スカ…
徳興山建中寺は、1651(慶安4)年に、2代尾張藩主・徳川光友(とくがわみつとも)が父である初代尾張藩主・徳川義直(とくがわよしなお)の菩提を弔うために開山した尾張徳川家の菩提寺(浄土宗)。
名古屋国際会議場の南に位置する池泉廻遊式庭園。潮の満ち引きにより刻々と変化する水景を楽しむ「汐入の庭」が中心施設で、築山を木曽の御嶽山(おんたけさん)に見立て、川(木曽川をイメージ)が滝を架け、美しい渓谷を経て池へと流れ…
地鯉鮒宿(ちりふしゅく/現・知立市)と鳴海宿(なるみしゅく/現・名古屋市緑区鳴海町)の間にある東海道の宿場(間の宿)が有松宿で、間の宿ながら愛知県内の宿場では往時の様子をもっとも色濃く残している宿場です。1608(慶長1…
江戸時代に東海道の「間の宿」として栄えた有松(ありまつ/名古屋市緑区)の名物が有松絞り。その家並みは重要伝統的建造物群保存地区となっていますが、その一画に建つ有松鳴海絞会館は、絞りの歴史資料や技術を、実物で展示解説する資…
名古屋駅と名古屋城の間、四間道(しけみち)と呼ばれる道沿いに土蔵や町屋が軒を連ねる一角があります。名古屋城築城に伴い、それまでの尾張の中心地であった清洲から城下町機能の全てが移転し(「清洲越し」のと呼ばれる城下町の移転)…
名古屋市中区大須3丁目、万松寺(ばんしょうじ)は、1540(天文9)年に、織田信長の父、織田信秀により織田家の菩提寺として開基された古刹。曹洞宗(禅宗)・大本山總持寺の末寺で十一面観音菩薩が本尊。正式の寺号は亀嶽林山萬松…
正式には、真福寺寶生院(ほうしょういん)といい、一般には大須観音の呼び名で親しまれる寺。もともと尾張国長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市桑原町大須)にあった寺を徳川家康がそのあらたかなる霊験ゆえに名古屋に移したもの。以後、…