第48回安曇野観光草競馬大会|安曇野市【2018年廃止】

【2018年廃止】
信州では4ヶ所で草競馬が行なわれています。5月下旬の大町市大町観光草競馬大会、8月上旬の日本最高所の塩尻市高ボッチ高原観光草競馬大会、そして9月下旬または10月上旬の安曇野観光草競馬大会。最後に「草競馬の菊花賞」と呼ばれる11月3日(文化の日)の佐久市望月駒の里草競馬大会です。

古代、安曇野の牧地区にはには猪鹿牧という官営牧場があった!

穂高牧地区にある安曇野市営牧運動場で開催されるのが『安曇野観光草競馬大会』。
牧地区はかつての勅旨牧(朝廷の命により運営管理されていた牧場)のひとつ猪鹿牧(いがのまき)があった地。
そんな歴史を背景にした草競馬です。

本来はラグビーやサッカーのグラウンドですが、この日ばかりはダートのトラックを馬が駆け抜けます。
長野県内外から競走馬や農耕馬、さらにはポニーなどが出走し、白熱のレースを展開。子供向けに、ポニーの試乗や馬車、小動物ふれあいコーナーなども用意。
9:30~=予選レース
11:30~=開会式
13:00~=決勝レース

ニッポン旅マガジンMEMO/古代信州には官営の牧場が16もあった!

古代律令国家のもとで、信濃国は最大の馬産地。古代における馬産は、朝鮮半島など東北アジアから種牡馬や馬産技術が導入されて始まりましたが、安曇氏に象徴される渡来民族は、山国信州で馬産を開始。壬申の乱(672年)で大海人皇子(天武天皇)が大友皇子方に勝利した背景には、信濃や甲斐、上州など東国の騎馬軍団が支援したから。
『安曇野観光草競馬大会』が開催される安曇野市の穂高牧集落には、猪鹿牧(いがのまき)にかかわる氏族のものとされる古墳が12基残されています。平安時代の末期には木曽義仲が信濃の騎馬軍団を率いて京に上っています。また江戸時代に、信州では宿場ごとに荷物を継立てする伝馬ではなく、目的地まで付け通しする「通し馬」である「中馬」交通が発達しました。

『延喜式』には、信濃十六牧といわれる16の牧が記載されています。
大室牧・高井牧(高井郡)
笠原牧・平井手牧・宮処牧(伊那郡)
新張(新治)牧(小県郡)
塩原牧・岡屋牧・山鹿牧・萩倉牧(諏訪郡)
望月牧・長倉牧・塩野牧(佐久郡)
埴原牧・大野牧(筑摩郡)
猪鹿牧(安曇郡)

安曇野観光草競馬 azuminokusakeiba03
安曇野観光草競馬大会
開催日時 2016年9月25日(日)9:30〜15:30
所在地 長野県安曇野市穂高牧1928
場所 安曇野市営牧運動場
電車・バスで JR大糸線穂高駅からタクシーで15分
ドライブで 長野自動車道安曇野ICから15km
駐車場 臨時駐車場あり
問い合わせ 安曇野市観光交流促進係 TEL:0263-71-2054/FAX:0263-72-1340
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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