赤穂大石神社
大正元年、旧赤穂城内、浅野家家老職・大石良雄(おおいしよしお=内蔵助/おおいしくらのすけ)宅跡を中心に建てられた神社で、祭神は四十七士と中折した萱野三平。4000坪の敷地には、国指定の史跡である大石邸跡に残された江戸期の…
大正元年、旧赤穂城内、浅野家家老職・大石良雄(おおいしよしお=内蔵助/おおいしくらのすけ)宅跡を中心に建てられた神社で、祭神は四十七士と中折した萱野三平。4000坪の敷地には、国指定の史跡である大石邸跡に残された江戸期の…
応和3年(963年)に空也上人(醍醐天皇第二皇子)が開いた真言宗智山派の古刹が六波羅蜜寺で、西国三十三所第17番札所。平安後期には平忠盛が塔頭寺院に滞在したことから、平清盛、重盛は広大な寺域に京滞在の館を築いています。重…
947(天暦元)年、巫女(みこ)の多治比文子(たじひのあやこ)らが北野の右近馬場に皇城鎮護の神として菅原道真の霊を祀ったのが始まりという古社が北野天満宮。京で起こった天変地異が道真の祟りという風評が広がり、その霊を鎮める…
「こんぴらさん」として親しまれる金刀比羅宮(ことひらぐう)。琴平山(象頭山/ぞうずさん)の中腹に位置し、参道の長い石段は本宮まで785段、奥社まで計1368段を数えます。明治初年まで金毘羅大権現として神仏混淆でしたが、現…
「塔博士」、「耐震構造の父」と呼ばれるのが建築構造技術者・内藤多仲(ないとうたちゅう)。その内藤多仲が昭和29年に完成した名古屋テレビ塔(国の登録有形文化財)を皮切りに、全国6ヶ所に築いた塔(タワー)が、「タワー6兄弟」…
金刀比羅宮参道の785段の石段を上った先にあるのが本宮。大社関棟造檜皮葺きの建物に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と崇徳天皇(すとくてんのう)が祀られています。まさにここが、金毘羅信仰の根源。パワースポットの中のパワ…
金刀比羅宮(ことひらぐう)の表書院は、1659(万治1)年に建てられた入母屋造檜皮葺きの建物で、国の重要文化財。内部は7つの部屋に分かれ象頭山松尾寺金光院時代には客殿として使われていました。表書院の前に建つ四脚門も見事な…
金刀比羅宮の境内社のひとつ白峰神社は崇徳天皇(すとくてんのう)を祀った神社で、本宮から奥社に向かう途中の山上に鎮座する社。朱塗流造(しゅぬりながれづくり)檜皮葺きの美しい建物です。
金刀比羅宮の巌魂神社(いずたまじんじゃ)は一般には奥社と呼ばれ、巌魂彦命(いずたまひこのみこと)を祀る社。1368段の石段を上りきった最奥の地にあり、ここまで来る人はさすがに少なく荘厳な雰囲気に包まれています。山麓から登…
金刀比羅宮の参道石段628段に建つ旭社は総欅材、2層入母屋造銅瓦葺きで、1837(天保8)年に建てられた重要文化財。4月1日に例祭、毎月1日に月次祭が行なわれています。
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、かつて水軍や漁民から信仰を集めた海の守り神。明治以前は神仏混淆の金毘羅大権現(象頭山松尾寺金光院)。現在は全国から参拝者が訪れ「こんぴらさん」の呼び名でも親しまれている。大門(おおもん)は2…
全国にある水天宮(すいてんぐう)の総本社が久留米にある水天宮。社伝によれば1190(建久元)年、千歳川(現・筑後川)のほとりの鷺野ケ原(さぎのがはら)に高倉平中宮(建礼門院・平徳子)に仕えていた官女・按察使局伊勢(あぜち…
721(養老5)年8月、興福寺創建者、藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に、元明上皇、元正天皇の両女帝が太政大臣の長屋王(ながやのおおきみ)に命じて創建した八角円堂。日本に現存する八角円堂のうち最も美しいと賞賛される…
興福寺の三重塔は、1143(康治2)年、崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮・藤原聖子(ふじわらのきよこ=皇嘉門院聖子/こうかもんいんせいこ)が創建し、1180(治承4)年、平重衡の兵火で焼失後、間もなく再建されたもので、北…
興福寺の国宝に指定される五重塔は、730(天平2)年、興福寺を創建した藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・光明皇后(聖武天皇の皇后)が創建したもの。度重なる兵火のため焼失し、現在の塔は1426(応永33)年に再建されたも…
法相宗大本山、669(天智8)年に藤原鎌足の病気平癒を祈願して妻・額田王が造営した山階寺が始まりと伝わる古刹が奈良の興福寺。平城遷都の際、鎌足の息子・藤原不比等により現在地に移され寺名を興福寺と改めました。薬師如来像を本…
国宝の建築物が建ち並ぶ名刹・興福寺内に建つ観音堂が南円堂で、813(弘仁4)年、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父・内麻呂(うちまろ)の追善のために建立したもので藤原氏の信仰の中心的な存在。日本最古の巡礼である西国三十三…
南都七大寺の1つに数えられる奈良の古刹が元興寺(がんごうじ)。蘇我馬子が飛鳥(あすか)に建立した日本最古の仏教寺院・飛鳥寺(法興寺)がその前身。平城京で元興寺(がんごうじ)と名前を変え、奈良時代には東大寺に次ぐという寺格…