広島平和記念資料館
広島県広島市中区、平和記念公園内にある原爆の悲惨さを後世に伝え、平和を希求するミュージアムが、広島平和記念資料館。核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現をめざして設立されたもので、「原爆資料館」との呼ばれています。
広島県広島市中区、平和記念公園内にある原爆の悲惨さを後世に伝え、平和を希求するミュージアムが、広島平和記念資料館。核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現をめざして設立されたもので、「原爆資料館」との呼ばれています。
広島県廿日市市、宮島の厳島神社近くにある市営の水族館が、宮島水族館。世界遺産に登録されるエリアということで、景観に配慮した和風建築の水族館。みやじマリンが愛称で、瀬戸内海を中心に380種1万5000点の生物を展示し、本館…
広島県呉市、潮待ちや風待ちをする船で賑わい栄えた港町・御手洗(みたらい)で、昭和12年に芝居小屋として建築され、芝居の興行や昭和30年代までは映画館としても活躍したのが、乙女座。往時のままに芝居小屋として復元保存されたの…
東京都府中市本町1丁目、JRA東京競馬場近くにある天台宗の寺が、安養寺(あんようじ)。寺伝によれば貞観元年(859年)、円仁(慈覚大師)によって開山されたという古刹で、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは大國魂神社(おおく…
広島県広島市西区、三滝山の中腹に建つ真言宗の古刹が、三滝寺(三瀧寺/みたきでら)。「三滝観音」として親しまれる寺で、寺伝によれば大同4年(809年)、空海(弘法大師)の創建。境内に三滝寺の名の由来となる駒ヶ滝、梵音の滝、…
奈良県奈良市にある国の名勝に指定される池泉回遊式庭園が、依水園(いすいえん)。「二、三度見せてもらいに行った事がある。この辺では第一の庭だった」と志賀直哉も随筆で絶賛する名園。江戸時代作庭の前園、明治時代の後園、寧楽美術…
奈良県宇陀市、芳野川沿いに建つ古社が、宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)。水分(みくまり)とは水配りが変化した言葉で、社伝によれば、崇神天皇の命により創建されたと伝えられます。現存する本殿は、元応2年(1320年)の築…
東京都府中市宮町3丁目、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)境内、ふるさと府中歴史館前に鎮座するのが、宮之咩神社(みやのめじんじゃ) 。大國魂神社の摂社ながら、創建は大國魂神社と同じ神代の昔といい、安産の神、芸能…
東京都小金井市貫井南町にあるその名の通り、湧水で知られる神社が、貫井神社(ぬくいじんじゃ)。神仏習合時代は水神でもある貫井弁財天として祀られ、明治初年の神仏分離で厳島神社に、さらに貫井神社を合祀して貫井神社となっています…
奈良県宇陀市大宇陀春日にある浄土宗鎮西派の寺が、慶恩寺(けいおんじ)。吉野山に南朝の皇居が築かれた南北朝時代、宇陀松山城(当時の名称は秋山城)を築いた秋山氏の菩提寺。寺伝によれば695年(持統天皇9年)創建という古刹で、…
奈良県吉野郡吉野山、吉野山・上千本の宮坂途中にある高野山真言宗の寺が、善福寺。神武天皇東征の際に、八咫烏(やたがらす)と吉野の首長だった井光大神(いびかりおおかみ)がその道案内をしたという伝説があり、その井光大神の住居跡…
埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目に鎮座する古社が、調神社(つきじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載の式内社で、調宮(つきのみや)とも呼ばれています。朝廷、あるいは伊勢神宮への調物を貯蔵する御倉が前身とも推測さ…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺の塔頭(たっちゅう=子院)が、脳天大神龍王院(のうてんおおかみりゅうおういん)。金峯山寺蔵王堂の脇、吉野朝宮跡(実城寺跡)から455段の石段を下り到達することも可能ですが、車なら寺近く…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の東南院の北、吉野山のメインストリート、奈良県道15号(桜井明日香吉野線)の吉野山駐在所脇から階段を上った高台に位置するのが韋駄天山(いだてんやま)。金峯山寺・蔵王堂を眼前に、振り返れば上千本や…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の黒門をくぐってすぐにあるのが高野山真言宗の寺、弘願寺(こうがんじ)。本尊・阿弥陀如来立像は、正元2年(1260年)の作で奈良県の文化財に指定。境内にある関屋地蔵尊は、除災招福、そして歯の痛みに…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の中心、金峯山寺・蔵王堂の西、南北朝時代に南朝の皇居があった南朝妙法殿は、脳天大神龍王院からの石段が上がってくる場所。その石段455段を上りきった場所に立つのが大峯山を開いた修験道の開祖・役行者…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂の西側、現在は南朝妙法殿が建っている場所が、南北朝時代に南朝4代の天皇(後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇)の皇居があった吉野朝宮跡(実城寺跡)。建武の新政に失敗した後…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂の前にあるのが、二天門跡(村上義光公忠死之碑)。北条方(鎌倉幕府軍)の攻撃で、吉野城落城の際、村上義光(むらかみよしてる)が大塔宮(おおとうのみや=護良親王・もりよししんのう/後…