龍華院大猷院霊屋
静岡県掛川市掛川、掛川城の北東、中世の掛川古城跡にあるのが龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんたいゆういんおたまや)。明暦2年(1656年)、遠江掛川藩主・北条氏重(ほうじょううじしげ)が、3代将軍・徳川家光(大猷院殿)の霊牌…
静岡県掛川市掛川、掛川城の北東、中世の掛川古城跡にあるのが龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんたいゆういんおたまや)。明暦2年(1656年)、遠江掛川藩主・北条氏重(ほうじょううじしげ)が、3代将軍・徳川家光(大猷院殿)の霊牌…
京都府長岡京市にある西山浄土宗総本山が光明寺(こうみょうじ)。承安5年(1175年)、法然上人が45歳の時に、庵を結び、初めて専修念仏の教えを説いた地で、「浄土門根元地」。法然の法弟、熊谷直実(くまがいなおざね)が建久9…
京都府八幡市、男山の中腹にある曹洞宗の古刹、神應寺(じんのうじ/神応寺)。貞観2年(860年)、男山に石清水八幡宮護国寺(近世までは神仏習合)を勧請した南都(奈良)・大安寺の僧・行教(ぎょうきょう)が、応神天皇の霊を祀る…
京都府長岡京市にある真言宗豊山派の寺、乙訓寺(おとくにでら)。寺伝によれば推古天皇の命により聖徳太子創建で、唐から帰朝した空海も当地に滞在したとか。奈良・長谷寺の末寺にあたり、長谷寺から移された2000株の牡丹が茂り、牡…
京都府長岡京市にある大同元年(806年)、清水寺の開祖・延鎮(えんちん=法相宗の僧)による創建と伝えられる、西山浄土宗の寺が楊谷寺(ようこくじ)。楊は柳のことで、柳谷観音(やなぎだにかんのん)と通称されています。本尊は「…
京都府京都市左京区岩倉幡枝町にある臨済宗妙心寺派の寺、圓通寺(円通寺)。もともとは後水尾上皇の幡枝離宮があった場所。注目は比叡山を借景とする枯山水庭園。後水尾天皇が寛永6年(1629年)の退位後、洛北に12年もの間、隠居…
京都府京都市右京区京北鳥居町にある古社が山国神社(やまぐにじんじゃ)。創建は宝亀年間(770年~780年)といわれ、平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載もある式内社。延暦13年(794年)の平安遷都に際し、木材を伐り出し…
京都府京都市右京区京北井戸町にある臨済宗天龍寺派の寺が常照皇寺(じょうしょうこうじ)。南北朝時代、北朝の初代天皇・光厳上皇により開かれ、歴代天皇にも庇護を受けて栄た寺。広大な境内には、江戸末期の建築である方丈、隠寮、庫裏…
京都府京都市左京区大原大原から鯖街道(国道367号)を北に2kmほどで古知谷(こちだに)にある浄土宗の寺、古知谷阿弥陀寺。焼杉山の山中にある阿弥陀寺は、慶長14年(1609年)、木食弾誓(もくじきだんせい)上人が創建した…
京都市左京区岩倉にある天台宗の寺、実相院(じっそういん)。かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡のひとつ(皇族関係者が住職を務める寺)で、実相院門跡、岩倉門跡、岩倉御殿とも呼ばれる名刹。狩野派の襖絵などが現存し、まさに…
京都府京都市左京区にある本山修験宗の寺、峰定寺(ぶじょうじ)。昔、京の都を花と呼び、その都を背にしているので花背と呼んだという京都市街の北端、寺谷川に臨む花背の地、大悲山の山腹に建つ隠れ寺。大原からも国道477号で3つの…
京都府京都市左京区、洛北の若狭街道に建つ天台宗山門派の寺、蓮華寺。応仁の乱で荒廃した寺を寛文2年(1662年)、加賀藩の家老・今枝近義(いまえだちかよし)が祖父・今枝重直の菩提を弔うために洛中から移転させて再興。山門や池…
京都府京都市左京区にある浄土宗の大本山が、百萬遍知恩寺。浄土宗七大本山のひとつで浄土宗を開いた法然(ほうねん)の弟子、勢観房源智(せいかんぼうげんち)が住持した浄土専修念仏道場が起こり。8世・世善阿空円が百萬遍念仏を7日…
京都府宮津市宮本にある現役の木造聖堂としては日本最古の教会がカトリック宮津教会。聖ヨハネ天主堂は明治29年、フランス人神父ルイ・ルラーブ(Jean Louis Relave)が建てたもので、京都府の有形文化財に指定。明治…
京都府与謝郡伊根町にある天長2年(825年)に創建されたと伝わる古社が浦嶋神社(浦島神社/宇良神社)。『丹後国風土記』に登場する浦嶋伝説の舞台と伝わる神社で、浦嶋太郎(浦島太郎)はここから竜宮城に向かったと伝わる、日本最…
京都府京都市東山区にある天台宗の寺、方広寺。豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立したことで知られますが、もうひとつ有名なのが国家安康の鐘。大坂冬の陣・夏の陣の原因とされる、銘文「国家安康・君臣豊楽」が刻まれた鐘ですが…
京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が孤篷庵。大徳寺の西端に建つ庵で、庵号の「孤篷」は「一艘の苫舟」の意で、小堀遠州(小堀政一)の号。小堀遠州が江月宗玩(こうげつそうがん…
京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が総見院。天正10年(1582年)、本能寺の変の100日後、大徳寺で信長の大葬礼が執り行なわれましたが、一周忌を前に、信長の菩提を弔う…