勝連城
沖縄本島うるま市、勝連半島のつけ根に近い南風原(はえばる)に建ち、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に指定されたグスク(城)のひとつが勝連城(かつれんぐすく)。12〜13世紀頃、勝連按司(…
沖縄本島うるま市、勝連半島のつけ根に近い南風原(はえばる)に建ち、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に指定されたグスク(城)のひとつが勝連城(かつれんぐすく)。12〜13世紀頃、勝連按司(…
座喜味城(ざきみぐすく)は、沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)の小高い丘の上に位置し、15世紀の初めに、護佐丸按司(ごさまるあじ)が築城した城(グスク)。一帯は座喜味城跡公園として整備され、「続日本100名城」に選定さ…
天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)により建立された佐渡最古の寺が佐渡国分寺。七堂伽藍を構えていたが享禄2年(1529年)に火災で焼失し、享禄4年(1531年)に再建されています。当時の金堂、講堂の礎石は境…
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点とするために肥前国松浦郡名護屋(現・佐賀県唐津市)に築城の達人といわれた加藤清正などの諸将に築かせた城が名護屋城(なごやじょう)。松浦党・波多親(はたちかし)の家臣、名護屋経述(…
大正9年に建てられた旧宿根木小学校校舎を再生し、漁具や船大工の道具、民具など約3万点の資料を収蔵する佐渡国小木民俗博物館。小木に住む人々が漁具や農具などを持ち寄り開館した素朴な博物館で、北前船が寄港し、佐渡の金銀を積み出…
海蔵寺から源氏山公園へつながる化粧坂(けわいざか)の切り通し。武蔵国府(現在の府中市・国分寺市)へと通じる古道の鎌倉側の入口で「鎌倉七切通し」(鎌倉七口)のひとつになっています。昼なおうっそうとした暗い道で、昔ながらの土…
神奈川県横須賀市の久里浜にあるアメリカ海軍提督マシュー・カルブレイス・ペリーが、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)に久里浜海岸に上陸したことを記念したペリー上陸記念碑を中心とした公園。明治34年7月14日に除幕され…
北鎌倉の建長寺の門前の山ノ内と扇ヶ谷(おうぎがやつ)を結ぶ山越えの道が亀ヶ谷坂 (かめがやつざか)。「鎌倉七切通し」(鎌倉七口)のひとつで、仁治元年(1240年)、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の「山内の道路を造らるべきの由…
明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変。信長が上洛の際に宿所としていた本能寺は、本能寺の変当時は現在の寺町御池ではなく、堀川四条近く、油小路通蛸薬師にありました。「本能寺跡」石碑、「此附近本能寺址」石柱も立っています…
明治4年、神仏分離が行なわれた際に熊本城内に創建された神社が加藤神社(当時は錦山神社と称していました)。熊本城内に陸軍の熊本鎮台が置かれるということで城外の新堀町(現在の在京町)に移転しましたが、昭和37年に再び城内の本…
名古屋城、大坂城(大阪城)と並び「日本三名城」の一つ熊本城は、天正16年(1588年)に肥後半国の領主・加藤清正によって6年の歳月をかけて築かれた豪壮雄大な城。現在残る熊本城の城郭は、加藤清正が築いたものを細川時代に手直…
佐賀県唐津市のJR唐津線山本駅から松浦川を渡った場所にある久里双水古墳(くりそうずいこふん)。古墳というより2つの小山といった感じで、その巨大さに驚くほど。唐津市の久里と双水の境にあり、周囲は久里双水古墳公園として整備さ…
弥生時代後期の環壕(かんごう)集落としては日本一の規模をもち、国の特別史跡にも指定されているのが佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)。現在、遺跡一帯は国営吉野ヶ里歴史公園として整備されています。3重の…
1879年に沖縄県が誕生するまで長期にわたり琉球王国の中心だった王宮が首里城(しゅりじょう)。那覇市内では最も高い琉球石灰岩でできた丘陵地に建ち、東西約400m、南北約270mもの石垣に囲まれた城内には、10ほどの御嶽(…
首里城で歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、「喜び誇る」の意から「ほこり御門(うじょう)」という別名のある久慶門(きゅうけいもん)は通用門として使われていた門で、おもに女性が出入りしていました。琉球王国の国王が寺…
首里城の登城ルートで、歓会門の先にある2番目の門が瑞泉門(ずいせんもん)で、石造のアーチを設けない楼門形式の門。その名の通り「めでたい泉」といわれる湧水「龍樋」(りゅうひ)が門前にあるため瑞泉門の名がついたもの。俗に「樋…
琉球王国時代最大の建造物が首里城の正殿(せいでん)で国殿、百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)、唐玻豊(からはふう)とも呼ばれた建物。この建物が琉球王国の浦々までを支配する王国の象徴として君臨していました。創建年は不明です…
首里城の城郭内部に入る最初の門が勧会門(かんかいもん)。門の左右にはシーサー(獅子=悪霊を追い払う魔除け)が配され門を守っています。第3代の尚真(しょうしん)王時代(1477~1526年)には琉球王国の中央集権化が進みま…