走水低砲台跡
神奈川県横須賀市走水2丁目、観音崎の北、東京湾に突き出した走水の旗山崎公園にあるのが、走水低砲台跡。標高20mほどの台地に27cmカノン砲(加農砲)4門を構えた東京湾要塞の砲台跡。砲座や弾薬庫、兵舎などほとんどの遺構が現…
神奈川県横須賀市走水2丁目、観音崎の北、東京湾に突き出した走水の旗山崎公園にあるのが、走水低砲台跡。標高20mほどの台地に27cmカノン砲(加農砲)4門を構えた東京湾要塞の砲台跡。砲座や弾薬庫、兵舎などほとんどの遺構が現…
静岡県伊東市富戸、城ヶ崎海岸(城ヶ崎ピクニカルコース)の途中、ぼら納屋近くにあるのが、黒船防備砲台跡。黒船の来航で、沿岸防備の必要性から徳川幕府が韮山代官・江川太郎左ヱ門に命じて伊豆、相模、下総、上総、安房5ヶ国に築いた…
鹿児島県肝属郡南大隅町、文久2年(1862年)、生麦事件後、それまであった大門口台場、祇園之洲砲台、新波戸砲台、辨天波戸砲台に加え、新たに台場を構築。そんな薩英戦争に備えて砲台を備えた根占砲台の跡が、台場公園(薩英戦争砲…
長崎県対馬市美津島町、国境の島・対馬の東岸の高台にあるのが、姫神山砲台跡。ロシア艦隊の来航に備え、明治34年11月に竣工し、日露戦争開戦時には28㎝榴弾砲(りゅうだんほう)6門が備えられた砲台の跡です。対馬要塞でも最大級…
長崎県対馬市(つしまし)上対馬町、対馬の北端、韓国展望所のさらに北にあるのが、豊砲台跡(とよほうだいあと)。朝鮮半島に臨む対馬は、本土防衛の最前線で、島内にはなんと30を超える砲台が築かれて要塞化していましたが、「世界最…
京都府舞鶴市、中世に建部山城があった山城跡に築かれたのが、舞鶴要塞・建部山堡塁砲台跡(まいづるようさい・たけべやまほうるいほうだいあと)。建部山(標高315.5m)は舞鶴港の西の高台に位置し、丹後富士とも呼ばれる秀峰。中…
長崎県西彼杵郡西海町、明治時代、佐世保軍港を防備するため設置された石原岳堡塁(いしはらだけほうるい)一帯を整備したのが石原岳森林公園。佐世保湾の湾口に南から突き出した半島先端部、標高80mほどの高台が石原岳で、標高70m…
広島県江田島市、江田島の山中、三高山(みたかやま、401.8m/地形図には砲台山と表記)の山頂北側に築かれた要塞時代の砲台跡が、三高山砲台跡(砲台山)。明治23年に呉鎮守府が開庁し、ロシア艦隊の呉港、広島湾入港を阻止する…
埼玉県秩父市大滝、秩父往還の旧道に位置する手掘りのトンネルが、大達原の手掘り隧道(おおだはらのずいどう)。一帯は、秩父帯のチャート、石灰岩が帯状に分布し、現在の国道140号が走る荒川沿いを通り抜けることができなかったため…
埼玉県秩父市大滝の神庭地区の荒川の削る断崖にある洞窟が、神庭洞窟(かにわどうくつ)。荒川の流れで石灰岩の下部にある比較的軟らかな泥岩が浸食され、5万年ほど前に形成された洞窟で、縄文時代から近世に至る遺物が出土し、神庭洞窟…
宮城県石巻市、旧北上川の中洲、石ノ森萬画館の向かいに建つレトロな教会堂が、旧石巻ハリストス正教会教会堂。明治13年、新田町(現在の千石町)に建てられた、石巻聖使徒イオアン教会で、現存する木造教会堂建築としては日本最古のも…
青森県上北郡六戸町にある奥入瀬川流域に現存する最古の家屋が、旧苫米地家住宅。国道45号沿い、道の駅ろくのへの隣に平成17年3月に移築、公開されています。江戸時代後半の築と推測される古民家で、式台があることから格式の高い家…
大阪府高槻市八丁畷町にある弥生時代の環濠集落跡を含む集落遺跡・安満遺跡(あまいせき)を公園化して保存した施設が、安満遺跡公園。京都大学大学院農学研究科附属農場の移転に伴い、21.8haという広大なエリアを公園化。広大な芝…
神奈川県横須賀市平成町の海岸にあり、猿島、浦賀水道を航行する船を眼前にする公園が、うみかぜ公園。公園内に移設された第三海堡大型兵舎(だいさんかいほおおがたへいしゃ)は、かつて東京湾要塞のひとつだった第三海堡にあった大型の…
神奈川県横須賀市田浦町5丁目、大山田隧道の南入口近くにあるのが、盛福寺管路隧道。田浦観音堂の下を抜け逗子市沼間側に抜ける水道管トンネルで、大正7年の開通。中津川から横須賀軍港へ水を引く海軍専用の水道トンネルとして掘削され…
神奈川県横須賀市汐入町1丁目、JR横須賀駅のロータリー前、ヴェルニー公園の入口に建つのが、逸見波止場衛門(へみはとばえいもん)。 旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所の遺構で、スクラッチタイルの利用などから昭和4年〜昭…
静岡県下田市、ペリー艦隊来航記念碑のある下田港から了仙寺へと続く平滑川沿いの道が、ペリーロード。嘉永7年5月13日(1854年6月8日)、軍楽隊演奏に合わせ300人ものペリー艦隊水兵が行進し、下田の人々を驚かせた道です。…
愛媛県喜多郡内子町と大洲市の境、愛媛県道56号(内子河辺野村線)の脇にある旧道の峠が、龍馬脱藩の道・泉ヶ峠(いずみがとう)。泉ヶ峠は往時には、土佐街道の交通の要所で、文久2年3月26日(1862年4月24日)、土佐藩を脱…