安土城 摠見寺三重塔
安土城の家臣などが登城に使った百々橋口に織田信長が創建した寺が、摠見寺。天正3年(1575年)〜天正4年(1576年)、甲賀の長寿寺(現・滋賀県湖南市)から移築したもので、国の重要文化財に指定されています。
安土城の家臣などが登城に使った百々橋口に織田信長が創建した寺が、摠見寺。天正3年(1575年)〜天正4年(1576年)、甲賀の長寿寺(現・滋賀県湖南市)から移築したもので、国の重要文化財に指定されています。
安土城築城に伴って、織田信長が安土城内の百々橋口道に築いた真言宗の寺が摠見寺。二王門は摠見寺創建時に近江国甲賀郡柏木神社(現・滋賀県甲賀市水口町)から移築したと伝わり、国の重要文化財に指定されています。創建当時は真言宗の…
安土城の大手道と通用口である百々橋口道、さらに七曲道との合流点という要衝に位置するのが織田信忠邸跡。織田信忠は、織田信長の長男で、織田信長から生前に家督を譲られ織田家当主となった信長の後継者。甲州征伐では、総大将を務めて…
安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、前田利家邸跡を越えた右手が徳川家康邸跡。現在は摠見寺仮本堂となっています。織田信長が天正年間(1573年〜1592年)に甲賀から移したとされる寺です。
安土城の主郭(三の丸、二の丸、本丸)へと上る大手道の途中にあるのが羽柴秀吉邸跡。史料などによる正確な裏付けがないため、「伝羽柴秀吉邸跡」ということに。大手道を上り、前田利家邸跡の向かい側、大手道の左手に位置しています。
安土城の主郭部分(三の丸、二の丸、本丸)の入口、黒鉄門(くろがねもん)へと続く大手側(玄関側)の登城ルートが大手道。発掘調査前の大手道は、安政時代に拡張した摠見寺(そうけんじ)の石垣で遮断されていました。平成6年に解体し…
社伝によれば文治5年(1189年)、源頼朝の奥州藤原征伐の際、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、藤九郎盛長に命じてその場所を探した所、松に神宮大麻(じんぐうたいま、正確には「おおぬさ」=神札)がかかっているの…
香川県綾歌郡綾川町(あやがわちょう)にある滝宮天満宮(たきのみやてんまんぐう)は、平安時代、讃岐国の国司だった菅原道真ゆかりの天満宮。讃岐国国司の官舎(有岡屋形)が建っていた場所。毎年8月25日に滝宮天満宮の社前で『滝宮…
かつて越後国の国府があったという上越市にある浄土真宗浄興寺派の本山が浄興寺で、開山は親鸞(しんらん)。師匠・法然(ほうねん)の法難により、越後の国府(竹之内草庵=現在の五智国分寺)に流された親鸞は、赦免後、常陸国(茨城県…
天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために諸国ごとに建立された国分寺ですが、越後の国分寺の位置はいまだに解明されていません。越後国の国府は、頸城郡(くびきぐん)にあったとされ、現在の上越市国府地区にあっ…
四国霊場第84番の札所が屋島寺(やしまじ)。天平勝宝6年(754年)、鑑真和上(がんじんわじょう)が朝廷に招かれ奈良に向かう途中(2月4日に平城京に到着)、屋島北嶺に創建し、後に空海が南嶺に移したと伝えられている古刹。鎌…
吉野山・奧千本の地主神、金峯神社から山道を15分ほど歩けば、西行庵。桜(当時は山桜)を愛した漂泊の歌人・西行は、「吉野山去年(こぞ)の枝折(しをり)の道かへて まだ見ぬかたの花を尋ねん」(『新古今集』春上86)など、吉野…
嵯峨野にあり、苔むした庭園と茅葺きの庵が『平家物語』を彷彿させる寺、祇王寺(ぎおうじ)。平清盛の寵愛が同じ白拍子(しらびょうし)の仏御前(ほとけごぜん)に移り、寵を失った祇王(ぎおう)が、母の刀自(とじ)と妹の祇女(ぎに…
西の比叡山に対し、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられたのが上野の山の寛永寺。寛永2年(1625年)、慈眼大師・天海大僧正の創建で、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。往時には今の…
山口県防府市(ほうふし)松崎にある菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る古社が防府天満宮。社伝によれば、讒言(ざんげん)で失脚した菅原道真は、九州・大宰府(だざいふ)に左遷される途中、防府に立ち寄り、死後、魂となって帰って…
社伝(『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)によれば、平安時代後期の長治元年(1104年)の創建と伝わる鎌倉の古社、荏柄天神社。学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神にし、治承4年(1180年)、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を…
延喜元年(901年)、藤原時平らの陰謀によって右大臣から大宰府(だざいふ)の権帥(ごんのそち)に左遷させられた菅原道真は、延喜3年(903年)年2月25日、大宰府の南館(現・榎社)で没しています。その墓所に建てられたのが…
大阪市北区天神橋に鎮座する学業成就、合格祈願で名高い神社が大阪天満宮。白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際、都の西北(成玄)を守るため大将軍社を建立したのが始まり。天暦3年(949年)に村上天皇の勅…