大本山須磨寺
仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音…
仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音…
源平合戦(治承・寿永の乱)の古戦場として知られる須磨。一の谷から西一帯の海岸が一の谷の戦いの舞台とされ、「戦の濱」と通称されています。現在は鉄拐山、鉢伏山を含む103.8haという広大な須磨浦公園として整備されています。…
愛知県西尾市にある「西尾の抹茶」のルーツとなる寺。西条領主・吉良氏の菩提寺として3代・吉良満氏(きらみつうじ)が文永8年(1271年)に建立した寺。東福寺の聖一国師(円爾=えんに)を迎え開山式を行ない、宋(中国)・経山寺…
元和元年(1615年)に「寛永の三筆」の一人で陶芸家でもある本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から拝領した地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦はこの地に一族と移り住み、工匠を集めて「芸術の里」ともいえ…
現在の京都御苑・仙洞御所の東北部一帯は平安時代の摂政・太政大臣だった藤原道長(ふじわらのみちなが)の邸宅跡が土御門第跡(土御門殿跡)。道長が「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることのなしと思へば」で知られる有名な「…
大山ケーブルの中間駅「大山寺駅」にある大山不動尊(雨降山大山寺)は、成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺と並んで関東三大不動のひとつに数えられる真言宗大覚寺派の大本山。天平勝宝7年(755年)開山の古刹で、神仏習合時代から真言…
建久9年(1199年)12月27日、源頼朝は、御家人・稲毛重成(いなげしげなり)が亡妻の供養のために相模川に架けた橋の落成供養の帰途、落馬したことが原因で没しています。頼朝は鎌倉の持仏堂(後の法華堂)に葬られましたが、明…
鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した由緒ある古社が鶴岡八幡宮。もとは康平6年(1063年)、相模守となった源頼義が、材木座に京の石清水八幡宮を勧進したのが始まり。その後、鎌倉に居を構えた頼朝が治承4年(1180年)10月12…
菅原道真(すがわらのみちざね)の祖父・菅原清公(すがわらのきよきみ)から3代にわたる邸宅、菅原院のあったとされる地で、菅原道真はこの邸宅で誕生したといわれ、境内に産湯の井戸も残されています。本殿南には「天満宮御遺愛の灯籠…
東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
鎌倉市長谷にある浄土宗の寺、高徳院。本尊は「鎌倉大仏」、「長谷の大仏」と通称される大仏(阿弥陀如来像)で、国宝。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、現在の大仏は建長年間の鋳造といわれて…
平安遷都の際、非業の死を遂げた早良親王(さわらしんのう=光仁天皇の皇子)の霊を鎮めるため、桓武天皇によって造営されたもの。正式名は御霊神社ですが、御所南東にある下御霊神社に対して、北に位置するため上御霊神社と呼ばれていま…
鎌倉市二階堂にある天台宗の名刹、杉本寺。天平6年(734年)、行基開基と伝わる古刹で、鎌倉最古の寺。本尊は十一面観世音菩薩で、坂東三十三観音(坂東三十三箇所)、鎌倉三十三箇所の第1番札所となっています。文治5年(1189…
和歌山市紀三井寺の熊野街道沿い、名草山の中腹に位置する救世観音宗総本山の紀三井寺。寺の正式名は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)。宝亀元年(770年)、唐の僧・為光が開山。紀三井寺という名前は、…
徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると、密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。遺言で、久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て、…
元和2年12月(1617年1月)、久能山に創建された東照社(久能山東照社)。徳川家康の遺言で、久能山に埋葬され、東照大権現の神号が贈られた家康。久能山東照宮の拝殿・石の間・本殿は、創建時のもので国宝に指定されています。寛…
元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没した徳川家康は、その遺言によってその夜のうちに久能山に遺体が移され、葬られています。一周忌を経て江戸城の真北に在る日光の東照社にも祀られていますが、久能山東照宮には実際…