伝通院
東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「…
東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
鎌倉市長谷にある浄土宗の寺、高徳院。本尊は「鎌倉大仏」、「長谷の大仏」と通称される大仏(阿弥陀如来像)で、国宝。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、現在の大仏は建長年間の鋳造といわれて…
平安遷都の際、非業の死を遂げた早良親王(さわらしんのう=光仁天皇の皇子)の霊を鎮めるため、桓武天皇によって造営されたもの。正式名は御霊神社ですが、御所南東にある下御霊神社に対して、北に位置するため上御霊神社と呼ばれていま…
鎌倉市二階堂にある天台宗の名刹、杉本寺。天平6年(734年)、行基開基と伝わる古刹で、鎌倉最古の寺。本尊は十一面観世音菩薩で、坂東三十三観音(坂東三十三箇所)、鎌倉三十三箇所の第1番札所となっています。文治5年(1189…
和歌山市紀三井寺の熊野街道沿い、名草山の中腹に位置する救世観音宗総本山の紀三井寺。寺の正式名は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)。宝亀元年(770年)、唐の僧・為光が開山。紀三井寺という名前は、…
徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると、密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。遺言で、久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て、…
元和2年12月(1617年1月)、久能山に創建された東照社(久能山東照社)。徳川家康の遺言で、久能山に埋葬され、東照大権現の神号が贈られた家康。久能山東照宮の拝殿・石の間・本殿は、創建時のもので国宝に指定されています。寛…
元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没した徳川家康は、その遺言によってその夜のうちに久能山に遺体が移され、葬られています。一周忌を経て江戸城の真北に在る日光の東照社にも祀られていますが、久能山東照宮には実際…
日本平からロープウェイで5分の久能山駅から徒歩1分の久能山山頂に鎮座するのが久能山東照宮。1616(元和2)年4月17日、75歳の徳川家康が駿府城で没した際、その遺言により、山上にあった久能城を廃城にし、2代将軍・秀忠の…
1175(承安5)年に法然上人が吉水に設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。正式名は、華頂山知恩教院大谷寺。法然は自身が説いた学問や修業のない念仏仏教が信仰されるも、宗教追害にあい流刑の後、この地で入滅しています。没…
鬼子母神(きしもじん)は、もともと夜叉神(やしゃがみ)の娘。たいへん暴虐で子どもをつかまえて食べてしまう恐ろしい鬼女でしたが、釈迦に諭され改心してからは、安産・子育の守り神として庶民の信仰を集めました。現存する豊島区雑司…
805(延暦24)年、最澄(伝教大師)が唐(中国)からの帰途、兵庫の和田岬に上陸。自刻の薬師如来像を安置し、能福護国密寺を開いたのが始まりという天台宗の古刹が能福寺。寺伝によれば日本で最初の密教の教化霊場ということに。平…
京都を流れる桂川にかかる橋で嵐山のシンボル的存在。左岸と中州である中ノ島公園とを結んでいます。承和年間(834年〜848年)に僧・道昌が架橋したのが最初で、鎌倉時代に亀山上皇が月が傾いていくのを眺めて「くまなき月の渡るに…
醍醐山一帯に広大な敷地を占める真言宗醍醐派の総本山が醍醐寺(だいごじ)。豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」で有名な寺です。醍醐とは仏の悟りや教えのこと。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっています。上醍醐にある准胝…
嵐山の渡月橋の北、広大な寺地を誇るのが臨済宗天竜寺派の総本山、天龍寺。1339年(延元4)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐天皇供養のため、夢窓国師を開山とし後嵯峨天皇の仙洞御所、亀山上皇が仮御所を禅寺に改めた名刹。…
京、方広寺に鋳造された鐘に刻まれた銘文(方広寺鐘銘事件)から発展した豊臣勢力に対する厳しい処置。その後、大坂夏の陣が起こり、大坂城の堀が埋め立てられ、ついに慶長20年5月8日(1615年6月4日)、大坂夏の陣で、豊臣秀頼…
神奈川県高座郡寒川町にある相模国(さがみのくに)一之宮が寒川神社。相模川河口から7kmほど内陸に鎮座していますが、現社地が往時の河口と推測できます。さらに上流にはかつて相模国分寺があり、古代の相模国の中心だった場所です。…