福山城天守(福山城博物館)
新規の城郭建設、天守の築城が困難になった一国一城令の出た後の元和8年(1622年)に竣工した福山城の天守。明治維新の取り壊しも免れた天守(戦前は国宝)は、昭和20年8月8日の福山大空襲で惜しくも焼失。昭和41年に市制50…
新規の城郭建設、天守の築城が困難になった一国一城令の出た後の元和8年(1622年)に竣工した福山城の天守。明治維新の取り壊しも免れた天守(戦前は国宝)は、昭和20年8月8日の福山大空襲で惜しくも焼失。昭和41年に市制50…
本丸(天守・御殿)、二の丸、三の丸と、さらには指月山に詰城と堅牢な防御を誇った萩城。本丸の南西部に配された天守は桃山時代初期の様式で、高さ21m、5層5階の複合式望楼型の壮麗なものだったとか。現在は天守跡(天守台)の石垣…
山口県萩市街の北西、海に突き出すようにそびえる指月山(しづきやま/標高145m)の山頂と山麓に、慶長9年(1604年)から4年の歳月をかけ、毛利輝元(もうりてるもと)が築城した、平山城の城跡が萩城跡(はぎじょうせき)。平…
広島城は鯉城(りじょう)とも呼ばれる平城で、慶長4年(1599年)、太田川河口の三角洲に毛利輝元により築城されました。鯉城の名はこの付近が己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたことに由来。現在は内堀から先、二の丸、本丸のみ残…
広島城は、天正17年(1589年)、豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元(もうりてるもと)により築城され、天守は昭和6年に国宝に指定され、城郭建築が残されていました。残念ながら原爆投下により全壊し、現在の天守は昭和33年に復…
安芸高田市にある中世の山城、郡山城(吉田郡山城)の城内にある洞春寺跡にあるのが毛利元就墓所(もうりもとなりぼしょ)。郡山城を整備拡幅し、安芸の国人領主から戦国大名へと躍り出た毛利元就は、元亀2年6月14日(1571年7月…
広島県安芸高田市、かつての吉田荘(よしだのしょう)を見下ろす、標高400mの郡山の山上にある山城の跡が、毛利元就(もうりもとなり)の居城、郡山城跡(こおりやまじょうせき=吉田郡山城)。「毛利氏城跡 郡山城跡」として国の史…
平安時代初期の弘仁3年(812年)頃、大蔵卿・陸奥出羽按察使の文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が蝦夷(えみし)征討の責任者となって現在の岩手県矢巾町(やはばちょう)に築いた古代の城柵が徳丹城(とくたんじょう)。紫波城(現・…
岩手県盛岡市にある志波城(しわじょう)は、胆沢地方において蝦夷の首長・アテルイを降伏させた翌年、延暦22年(803年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)によって造営された古代城柵の跡が志波城跡。発掘調査…
尾張国海東郡荒子村(現・愛知県名古屋市中川区荒子)に天文年間(1532年~1555年)に前田利春(前田利昌)が築城、その長男である利久、四男・利家、利家の長男・利長が相次いで居城した城の跡が荒子城跡(あらこじょうせき)。…
六角氏の観音寺城の外港として機能した中世の琵琶湖東岸の港、常楽寺港を守る木村城主の木村氏は、もともと沙沙貴神社をルーツとする佐々木氏の一族で(沙沙貴神社の神職)、常楽寺の在地領主。その居城となったのが現在の近江八幡市安土…
島原半島南部、現在の南島原市にある原城跡は、周囲4kmの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞だった原城(有馬城、日暮城)の城跡。本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成される城跡は原城跡公園として整備されてい…
織田信長が奇想天外な天守を築いた安土城は琵琶湖の東岸にそびえる安土山(現在の近江八幡市安土町)に築城されています。京上洛の要の地である近江の中心部に位置し、織田信長の掲げる「天下布武」を誇示するのに最適な場所が安土山でし…
羽柴秀吉は天正11年(1583年)1月、織田信忠の嫡男(織田信長の孫)・三法師(織田秀信)に年賀を表すべく安土城に登城し、翌2月、二の丸に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して織田信長の本廟を築いています。安土城二の丸…
安土城の登城ルートは往時は大手道の他に、百々橋口(どどばしぐち)、七曲り、搦手道の4本ありました。現在、七曲り、搦手道は廃道となっていますが、残る2ルートは往時のままに現存。百々橋口道は現在、入口部分のみ通行止めで、下山…
織田信長が築いた安土城(「日本100名城」選定)の天守は、信長の天下布武(てんかふぶ)の象徴だった建物で、安土城跡の本丸跡に天守台跡が残されています。天守5階は正八角形の「八角の段」となり宇宙をかたどっていました。内部に…
安土城の主郭部分に入る最初の関門が黒金門。黒金門跡には枡形虎口の石垣が現存しています。安土城の中でももっとも巨石が使われている場所で、訪れる人を圧倒しようという織田信長の意図が込められているのかもしれません。平成5年の調…
安土城の家臣などが登城に使った百々橋口に織田信長が創建した寺が、摠見寺。天正3年(1575年)〜天正4年(1576年)、甲賀の長寿寺(現・滋賀県湖南市)から移築したもので、国の重要文化財に指定されています。